朔夜のうさぎは夢を見る

わたしがあなたに辿り着くまで

 どうやら先日の貴船にて、神をも恐れぬ不遜な態度を見せたことが、知盛はいたくお気に召したらしい。好きに使えとの言葉がどう作用したのか、剣の腕の上達も目を見張るものがある。そしてやがて、いつものごとく唐突に。鍛錬前に呼び出されたの目の前に、知盛は無言で布に包まれた細長い何かを突きつけた。
「……これは?」
「お前に、やろう」
 成立していないようでなんとなく成立してしまう会話の向こうには、言葉の裏やら行間を読むという、互いの距離が近ければこその技能がある。与えると、そう言われたのだからこの場合は素直に受け取るのが筋であり、そうして中身を検めるのが手っ取り早い。
「では、ありがたく頂戴いたします」
 床に指を置いてひとつ礼を送り、は改めて眼前に突き出されたままだった包みを恭しく受け取る。重みはそこそこ。聞き間違いでないのなら、かしゃりと、いつしか耳に馴染んだ金属音が軽やかに耳朶を打っていたはずだ。
 床に置いた包みから布を丁寧に取り去れば、中からは珍しくも美しき、白木の鞘に納まった小太刀が姿を現した。いや、小太刀というには小振りに過ぎる。
「抜いてみろ」
 じっと、品定めでもする調子で手の内の刀をしげしげと見つめていたは、促す声に応えて眼前に横一文字で構えた刀をゆっくりと引き抜く。


 思わず息を詰め、目を見開いていた。は知盛の審美眼が非常に優れたものであることを知っており、その眼識に適ったものを与えてもらえることを素直に喜ばしいと感じている。
 平家でも随一と謳われる知盛は、配下と従える郎党もまた非常に腕利きの強者揃い。そのためもあってか、彼らの所持する刀やら槍やらもまたなかなかの名品揃いであるらしい。中でも郡を抜く知盛は、その地位と鑑識眼もあいまって、いわゆる逸品を多く所持し、扱っている。それらを間近に見続けていればこそ、自然と磨かれた感性がに手の内の小太刀の価値を過たず伝えてくれる。
「違和はないか?」
 言葉を見つけられず、ただ刃に見入るばかりのの姿が面白かったのか、喉を鳴らして知盛は問い、答えを待たずに言葉を重ねる。
「並の太刀では、お前にはふさわしからぬだろうからな……。北山の霊泉の水を用いて、鍛えさせた」
 貴船の龍神の加護持つお前には、それでこそふさわしかろう。そう謳いあげる声こそが神託にも似ていて、はぞくりと背筋を震わせる。
「体格、膂力、型……すべて、お前に合わせて誂えさせた」
 なれば、これは世界でただひとつの刃。には、戦い方にあった道具を選ぶ能力も、武器に合わせて戦い方を変える実力もありはしない。だが、知盛は違う。この、天賦の才に恵まれてなおたゆまぬ努力を惜しまぬ平家の軍神は、そのどちらをもこなし、そしてこうして誰かに分け与えることさえできてしまう。
 己ならざる意思に操られるまま刀を振るった記憶を頼りに我流で鍛えようとしてついてしまった癖の矯正にはじまり、知盛は今のの剣術、弓術、馬術から果ては心構えまで、すべてにおける師であり規範。当人には見えない部分まですべてを掌握しているからこそ、きっと誂えられたこの刀は、自分にとって最高の実力を導き出す至上の一振りなのだろうと、問答無用で確信できる。


 ひやりと光を映す刀身は、鋼色を通り越して蒼銀色に輝いていた。どういった形容が似合うのだろうと考え、玲瓏という言葉を思い描く。この世界においては刀剣は実用性こそが重視され、あるいは神に捧げるための儀式的な意味合いが強いが、これぞまさしく芸術の極み。凝った装飾などありはしないごくごく質素な刀だというのに、研ぎ澄まされた美しさは、宝玉に並ぶだけの価値を微塵も疑わせない。
「教えるべき基本は、すべて教えた」
 そして耳朶を打つのは、やはり玲瓏と響く神託にも似た言葉。
「後は、己で切り拓け」
「この刃と共に?」
「これより先、それは、お前が命を託す刀ゆえな」
 子供の練習用の小太刀ではなく、己の刃を与えられること。それは、独り立ちを認められるということ。にとっては、これでようやく戦場に連れて行くか否かの判断を下してもらえる位置に辿り着いたということ。
「軍場に出ることを望まぬなら、佩かねばいい」
「佩かぬとでもお思いですか?」
 決して鎖されることのない慈悲による逃げ道は、刀を鞘に納める涼やかな音に載せた精一杯の不敵さと不遜さで一蹴する。
「ありがたく、頂戴いたします」
 先にも返した言葉を再度、今度はより深い感慨を込めて差し伸べてから、は恭しく頭を下げる。


 刃の折れる時は、鞘の朽ちる時。ならばそれはどうか、刃と共に。刃のために。刃に誇れる矜持をもって。言葉にならない思いを胸に沈めてゆるりと姿勢を正せば、静謐な深紫の双眸がじっとを見詰めている。
「なれば、その刃と共に……俺の背に、傍らに。在り続けろよ」
「知盛殿の往かれる道をこそ、我が道と定めますれば」
 いっそ嫣然と微笑み、は許しにも懇願にも似た命令に請願を返す。
「どうぞ、どこまでもお供しますこと、お許しくださいませ」
 そのままひたと据えられていた双眸がどこか遠い何かを見詰め、やがて「まこと、酔狂なことだ」と吐息に絡められた声が落ちる。その音はどこか切なげで、でも拒絶の色はどこにもなかった。だからは往く。刃を振りかざし、道を切り開き、そして望む未来を掴むために。
 喪いたくない世界を守るために。どこまでも。彼と共に駆け抜けられるなら、どこへでも。


辿


(待ってとは言わないし、あなたは私を待ちはしないけれど)
(信じて、うぬぼれてもいいですか)
(この刃が、私が追いつく未来への、あなたの確信であるのだと)

Fin.

back to 遥かなる時空の中で・幕間 index

http://crescent.mistymoon.michikusa.jp/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。