朔夜のうさぎは夢を見る

新中納言邸のお正月の光景 〜梅〜

 くるくると動き回る女房連中が忙しそうなのはいつものことだが、お付きの女房がこうも主人を放り出しておくのはいかがなものなのかと。最近ではすっかり珍しくなった主からの直々の呼び出しを受けて廊下を渡りながら、安芸はうっかりため息をこぼす。
 そういえば、つい先日もわざわざ小刀で何やら竹細工に勤しんでいた。あれの続きなのだろうかと思い至ってしまえばこそ、主の指示を待ってから説教をすべきかと思い直した。ゆえにこうしておとなしく呼び出しに応じたのだが、出向いた先の主は主で、まったく見覚えのない状況の只中で待ち構えている。


「何ごとにございましょうか?」
 ゆるりと額づいて問う前に視界に映ったのは、ものぐさな主には珍しく、散らかされた小物の類。そもそも、呼び立てられた部屋も大問題だ。なぜわざわざ、普段は寄り付きもしない曹司に居座っているのか。
「少し、探し物をな」
 ちらと振り返ったきり、主は手元に引っ張り出したらしい唐櫃の中身を探っている。
「何をお探しですか?」
「梅の枝があったろう? それを」
 言われて、安芸はしばしの黙考の後に小さく顎を引く。主が求めているのは、いつだかの観梅の宴において、舞の披露の褒美にと賜った宝物のことだろう。


 玉やら何やらには興味がない。しかし捨てるには気に入っている。そんな位置づけにあったがため、大切に、いや、ぞんざいに、しまいこんでいたことを安芸も確かに記憶している。
「しかし、唐突にいかがなさいました?」
「ん……」
 主とは別の櫃に手をかけながらの問いに、はきと返される答えはない。ただ、ぼそぼそと呟く言葉を繋げば、安芸には状況を読み取ることは難しくない。
 雪中の緑は用立てられたが、花にはまだ早かろう。梅花を焚くだけでは、いささか趣に欠ける。作りものではあるが、これほどの宝物であれば、新しき年を祝うにふさわしい。
 探し終わったらしい櫃に丁寧に布をかけながら、主はさりげなくふいと目を逸らす。それを見て思いがけず過ぎ去りし日の幼い様子を回顧して漏れそうになった笑声を、安芸もまた目を逸らすことで必死に噛み殺す。


 主が嫌がらせのようにお付きの女房に仕事を申しつけていたのも、誰からも隠れるようにして曹司に篭っていたのも、すべてはこれをひっそりと行うため。
 この曹司にしまいこんであるということは、常に身につけるものよりもよほどの高級品ということ。それをわざわざ持ち出すことの意味を、その思いを、きっとあの娘は正しく汲み取るだろう。在るべくして在るというのは、こういうこと。なんと美しいことだろう。麗しいことだろう。
「紅梅の襲を、胡蝶さんにご用意いたしましょうか」
 どうやら目的のものを見つけたらしい。ようやくすっきりと背筋を伸ばした後ろ姿を視界の隅にとらえ、安芸はちょうど手許に見つけた、主がこちらも存在を忘れていただろう渡来品の香炉を取り上げ、膝を使って振り返る。
「……そうだな」
 送られるのは、艶やかな流し目。楽しげに微笑み、主は優雅な仕草で腰を上げる。
「せっかくだ。匂いやかに、飾ってやってくれ」
「かしこまりまして」
 梅の咲く枝を手に、去りゆく姿こそが匂いやか。春を振り撒くその指先が、いつかあの細い指を手にするようにと願いながら、安芸もまた腰を上げた。


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Fin.

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