孤独な拍動
呼ぶ声は、泣いていた。
縋るのとは違う、抱きしめている声だった。
失わぬよう。損なわぬよう。確かめるよう。
二度、三度、四度。
重ねられる声が遠く、そのことが哀しい。
五度、六度、七度。
知らぬことは罪深い。妄信は果て無き罪業。
八度、九度、十度。
では、知らせぬことは、何になるのか。
確かに、それは未練だった。数少ない心残りの中の、最たる一がそれだった。
喚ぶ声は、幾重にも響いている。
知っていて喚ぶもの。知らずに呼ぶもの。そうとは意識せずに、けれど呼び返すもの。
耳鳴りのように。潮騒のように。梢のざわめくように。
重なり、反響する音の嵐の中で、ひときわ強く光を放つ、玲瓏たる声。
調べであり、祈りであった。
名を紡ぐその声に包まれて、ああこれで醒めることのない眠りにつくのだと。そう知って、まどろみかけたのに。
響いたのは、悲鳴だった。
聞いたことのない、絶望に染まって泣く声。必死に手を伸べて縋りつく、救済を求める叫び。
呼ぶ声は泣いていた。
だからと応え、手を伸べたのは自身の選択。戻るつもりは欠片もなかった。その選択がいかな未来を招くかを、誰よりもよく知っているのは自分自身だった。
それでも、届いた悲鳴に振り返り、身を翻し、駆け出したのはもはや本能だった。
そうして抱きしめたぬくもりの刻む鼓動に、深く安堵した。
そうして抱きしめた己の腕に通う血が無いことに、深く絶望した。
後悔と悲哀の海に沈む、これは一歩目。引き返せなくなった、罪の道。
もう、自分達の時間が重なることはない。腕の中のもう重なることのない拍動に、けれど、ひたむきに呼ばれたことは、嬉しかった。
自分の存在そのものを呼んでくれた唯一の声が、喪われなかった。
その悦びを最後の枷に、悲哀と後悔の海にひたすら沈むことを、覚悟した。
Fin.