朔夜のうさぎは夢を見る

東風吹かば

 主付の女房であるからには、来客の捌き方も学ばねばならない。そんな理由を簡単に述べてから「では、後をお願いします」と言い置いて、安芸はあっさりと重盛の面前を辞していった。このあたりの潔さやら思いきりのよさやらは、弟によく似ているというか、弟がよく似たというか。なんとも不思議な心持ちである。
 緊張からか、どこか堅い表情でかしこまっていた娘が、そして改めて指を膝の前に揃えてゆるやかに一礼。
「胡蝶と申します」
「ああ、ご丁寧に痛み入る。小松と申す」
 なるほど、いきなり面と向かって名を名乗るとは、さすがは外ツ国の水で育っただけのことはある。なかなかに考えにくいほどの常識からの逸脱ぶりだが、こういう筋の通った人物像は、確かにあの弟が好みそうだとも思う。
「先日、相国殿から賜られた品をお届けに参った」
「はい。ご来訪の旨、承っております。櫃の中身を、改めさせていただいても?」
「お願い申しあげる」
 あらかじめ運び込ませておいた櫃の蓋に手をかけてやれば、小さく会釈を寄越してから目録と中身とを見比べている。まだ文字の読み書きに不安が残るとのことを事前に安芸に聞いていたのだが、目録に記された漢字の読み取りに問題はないらしい。もしや、宗からの迷い蝶なのだろうか。


 正体を明かすなというのなら、黙っていればいいだけの話。そのあたり、別に重盛にとっては些細なことである。だが、自分の立場と弟の邸の家人の気質を照らし合わせれば、それが簡単なようでいて実に困難なことであるのは自明。そして、弟のこんな突飛で徹底した画策がきちんと機能していることから、協力をとりつけるべき相手も自明。
 思い立ったが吉日とばかりに文を出してみれば、それこそ徹底した口止を条件に、弟の耳に入らないよう配慮した訪問の手筈が整えられたのだ。
 生真面目な表情でじっくり櫃の中身を検分していた娘が、おもむろに頷いて脇によけておいた蓋に指を伸ばす。
「よろしければ、私が閉めよう」
 身分に差があれば、当然ながら仕事の内容にも差が生じる。だが、男女の違いをかんがみるべき点はまた別だとも思う。別に、今は身分と立場をきちんと知らしめなければならない場面でもない。細腕には重かろうと代わってやれば、小さく目を見開いてから、実にくすぐったげに笑って「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げてくる。
 この慎ましやかな対応の仕方と、相手によらず己の在り方というものをはっきり打ち出した姿勢は、やはり弟の好むところだろう。気紛れにして奔放と称されることの多い弟は、存外かっちりした考えの持ち主であり、職分に対して負う責への要求が厳しい。自身がそうだから、周囲にも最低限の基準としてそれを求めたくなるのか、筋の通った人間が好きなのである。


 そのまま残りの櫃の中身も検分を終えて、娘はにっこりと笑った。
「相国様からのお品を確かに賜りました」
「左兵衛督殿に、よろしく申し伝えてくだされるよう」
「承知いたしました」
 物思いに耽っている間に、蓋も元に戻されている。仕事もそつなし。胸中でそう評価を書き加えながら、重盛は懐に手を入れる。
「それから、どうぞこちらを」
「……これは?」
「土産物にございますよ」
 床に置いてわずかに押しやるのは、先日重衡がやわらに微笑みながら指先でもてあそんでいた、紫水晶のあしらわれた組紐。これではまるで弟を思わせる色だと感じたのだが、娘を夜闇のようだと嘯きながら迷いなく手に取っていたから、きっと似合うだろうと考えたのだ。
「左兵衛督殿が邸の皆様にと申されても、胡蝶殿はいつも遠慮をしてばかりなのだと安芸殿にうかがったゆえ」
「遠慮と申しますか……」
 途端にごにょごにょと口の中で言葉を濁してしまった娘は、それまでとは一転、見かけ相応にあどけなく可愛らしい。落差があるのもまた乙かと、そんなことをつい考えてしまうほどには、重盛は自分がこの娘を気に入ったとの自覚がある。もしも弟が飽きたなどというふざけたことを言い出した暁には、自分の邸に引き取るのもいいかもしれない。
「かくも難しく考えずとも」
 断るべきか受け取るべきかを悩んでいるらしい気配に、それからふと思い立って重盛は鎌をかけてみることにする。
「水晶は破邪の力を持つ。護りの身具ともなるゆえ、誰ぞ、想う方に贈るのもよろしかろう」
 誰に贈っても遜色のない品なのだから、とりあえずとっておけば良いと。そう唆しながら、じっと冷徹に反応を観察する。


 弟への脈の有無はともかく、彼女の心にかかる存在の有無はぜひとも押さえておきたい。弟が気に入っており、女房頭の安芸の反応も良く、重衡の評価も上々。加えて言えば、自分も気に入った。とならば、弟と深くえにしを結ばなかった場合は自分達の名を背に負わせていずこかと良い縁を結んでもらえれば、互いにとって最も佳きことだろう。
「神秘の色を湛えし霊石ということですね」
 思いつきは予想以上の誘い水になったらしい。はたりと瞬いてからやわらに笑い、娘はつと床に三つ指をつく。
「なれば、ご厚意に甘えとう存じます」
「ああ、そうしてくれ」
 これはもしや、薮をつついていらぬ蛇を出したのかもしれない。その蛇が思いがけず弟である可能性が残っていればこそ、くすぐったいようなもどかしいような、複雑な心境である。
 もっとも、彼女を見込んで名を負わせる場合、そこには厚意よりも作為がはさまれる。しがらみから放たれたくて堀を巡らせる弟を愛しく思い、その裏で結局しがらみのことばかりを考える自分に覚えた苦い思いにはそっと蓋をするに限る。
 やんわりと笑い、重盛は水晶へと伸ばされる指をあたたかく見守る。
「ああ、よく映える」
 彼女は深更の色味を纏う。さらに似たような色を重ねるからには沈むのではないかと懸念したが、意外や、対比するように白い指は水晶の濃紫を引き立て、蒼黒の瞳と引き合うようで美しい。さすがに牡丹にも喩えられる、典雅さで名を馳せる弟は見る目がある。


 満足感に瞳を細め、けれど飾るならば真珠か、色のない水晶がいいかと考える。形容は違われない。夜闇のごとき姿にも気配にも、やはり月のごとき白銀か乳白色が映えるだろう。
「……なるほど」
 そして意図せず呻くように呟き、重盛は似て非なる銀髪兄弟の弟が、彼女を垣間見て直観しただろう願いに辿りついた己を知る。
「どうかなさいましたか?」
「いや。よく似合っていると」
 呟きに反応した娘にはやんわりと首を振り、当たり障りのない言葉を紡ぎながらも、思考は静かに収束し、終息していく。
 真珠、銀月、星灯り、白雪。彼女に映えるだろうと頭をよぎった色は、弟達のなびかせる髪の色。紅葉だの牡丹だのといった形容を戴く弟達は、しかし同時にその美しき髪色を称えて月や氷雪にも喩えられる。好んで纏う色彩の傾向もあって、そもそも白や青を連想させると言われる下の弟はともかく、同じく纏う色彩の傾向と武人としての側面を隠しもしないことから、朱色やら緋色を連想させると言われる上の弟まで。
 美しいだろうと、そう思った。彼女と共にあの色があれば、互いに引き立てあって、実に美しき一対となるだろう。それはまるで、夜空に浮かぶ月を眺めるように。そして、その姿を見たいと思ったのだ。凛と咲く闇色の花をそっと隠しているあまりにも誇り高き獣の、ひそやかな安寧が満ちている奇跡を。


 どうか、と。願いを告げることさえできないのは、彼の安寧を崩すことに繋がるから。ゆっくりと築かれていくこの儚く優しき楽園の完成を、今はまだ、いたずらに妨げることになりえるから。
(お前は、お前自身を預けられる相手を、見出したんだな)
 きっと大丈夫だろう。彼女がここにこうして在って、彼が彼女を見失わない限り、あの弟はずっと大丈夫だ。確信した途端に込み上げてきた感慨を飲み込み、重盛は安芸に話があるからと言って、娘に使いを頼む。
 手が空いていなければ待つゆえに、呼んできてはもらえまいかと。しかしてすぐさま単身でやってきた古参の女房の深い笑みに、ほろりとこぼれたのはあたたかな苦笑。
「どうやら、杞憂だったようだな」
「胡蝶さんは、お眼鏡に適いましたか?」
「予想以上だよ」
 心配はいらないから、とにかく波風を立てないでほしいという事前の要請の意味は、嫌というほど実感した。そして、この経験豊かな女房までもが彼女の存在の擁護に回っている心もまた。
「俺からも頼む……。あの子を、そしてあの子達を、どうか」
 あたたかく、優しく、なごやかに、幸せに。
 言葉に置き換えられなかった願いと祈りには、同じ情動をたゆたわせた穏やかな瞳による目笑と、真摯ないらえが返された。



(なあ、そして知ってくれ、お前の手にした水晶と同じ意味を持つ贈り物の意図を)
(菊花香は破邪の香なのだと、恐らくはそれをも含めただろうあの獣の、この上ない慈しみを)

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。