生へ執着すること
戦場に出るということは、人としての多くの矛盾を体現することに等しい。弁慶は、常々そう思っている。
自分以外の命を屠ることに、本能に即した理由はない。命を散らすことに脅えながら、自分の命よりも優先すべき命のために、己の命を駒にする。理性をかなぐり捨てて狂気に染まり、血を溢れさせて哄笑に沈む。
自分もまたその一端であることを自覚していればこそ、声高に矛盾を糾弾するつもりもないし、間違っていると正論を振りかざすつもりもない。ただ、軍師として多くの命を碁盤上の碁石のように扱いながら、薬師としてひとつひとつの命の消えゆくのを歯噛みして見つめる中で、嫌でも矛盾の姿を思い知る。思い知ればつい考えが向いてしまうし、考えれば考えるほど、深みにはまる。そして、気づけば形作られていた枠からはみ出る存在に、ついうっかり興味をそそられる。
存在そのものが弁慶にとって不可思議と矛盾の塊であった彼女は、一皮剥いても二皮剥いても、どこまでも矛盾に満ちた存在だった。
女だてらに戦場に立つ。男顔負けの戦力を担う。隙など微塵もない歴戦の将兵としての身のこなし。所作の端々にまで満ちるのは、実に洗練された優雅な気配。
望美や朔のおかげで戦場と女性という組み合わせには慣れたつもりだったのだが、長年の内に叩き込まれた感性が、やはりいまだに違和を叫ぶ。在るべきではないのに在るその人は、けれど矛盾を矛盾とも思っていないようで、その姿に思うのは彼女の主だろう存在の抱える矛盾のとんでもなさであった。
傷の手当てはおとなしく受けるし、水も食料も薬も、まったく弁慶を疑う様子などなく素直に口にする。毒でも盛られていたらどうするのだと問えば、飢えて死ぬより悔いがないと言う。ならばさっさと口を割って保身を図ればよかろうと言えば、それとこれとは関係ないと白を切る。
本能ゆえに生存を優先しているのか、誇りゆえに生への執着を殺しているのか。矛盾に満ちて牢に居座る招かれざる賓客は、得難い手駒のようでいて扱いづらい切り札にしかならない。ではと思って捨てることもできないあたり、本当に厄介なことこの上ない矛盾の塊である。
どうしたものか、どうするのが有効か。駆け引きに骨を折りながらその労苦さえ楽しみつつあった弁慶にとって、だから今回の顛末はいささか意外であり、けれど決して期待外れではないという、つまるところやはり矛盾の塊であった。
女の身であることを衝かれ、男に脅えをみせるようになった姿は本能ゆえに。矜持も、意地も、ありとあらゆるすべてを踏み躙られて、これで舌でも噛み切られたらどうしようとひそかに危惧したものだ。
少なくとも弁慶が見知った限り、彼女はこの状況を経てなおただ安穏と与えられる時間に甘んじるような、そんな可愛気を持ち合わせているようには思えなかった。怒り狂うか、絶望するか。噂通りの術師であるなら、下手人は既にひねりつぶされているかもしれない。名にし負いし武将であるからには、さすがの屈辱に世を儚んでしまうかもしれない。
いずれの結末にせよ、せっかく拾った意味が根底から覆される。そう考えて六条堀川までの道をまんじりともせず急いだというのに、突きつけられたのは思いがけず泥臭く、俗にまみれた彼女の本質。
「正直なところ、とても意外に思います」
「……かくな目に遭おうとも生き恥を曝せるわたしの神経が、信じがたいですか?」
「そうは言いませんが」
とっくに牢から彼女を邸の奥に連れ込み、けれど自分ではどうしていいかがわからないと言ってすべてを弁慶に押しつけた九郎が、部屋に面した簀子縁でぴくりと反応を示したのが読みとれた。
「あの状況なら、“死人”の一人や二人、出ていても不思議ではないと思っただけですよ」
簡単に診察を終え、とりあえず外傷がないことを確認した上で目の前で薬湯を煎じて渡してやれば、やはり躊躇いも疑いもなく椀を受け取って彼女はくつりと喉を鳴らす。
「わたしは、まだ死にたくないのです」
そして放たれたのは、あまりにもあっけらかんとした欲望。
「可能性を捨てきれないから、死ぬわけにはいきません。そして、同じ生きるなら、たとえ僅かにでも罪悪感の少ない道をと願ってしまう」
「ゆえに、殺さなかったと?」
「あの状況では、ですが」
手元に刃があったなら、きっと斬り伏せていたことでしょう。こともなげにうっそりと嗤う彼女に、弁慶は静かに睫毛を上下させた。なるほど、戦場の内でも外でも、少なくとも彼女が抱く矛盾を貫くのはこの執心なのかと、どこか遠い思索で納得したのだ。
Fin.