朔夜のうさぎは夢を見る

肌を触れ合うこと

 人間は、生まれ持った遺伝要因と、その人を取り巻く環境要因によって人格形成が大きく左右されるらしい。まあ、当然のことだろう。ゆえに子は親に似るのだろうし、真逆の性格の兄弟が存在しうるのだと譲は思う。端的にその実例を示すのが自分達有川兄弟であるという自覚も、もちろんある。
 さてはて、そんなわけだから、現代からこの不可思議な異世界に流されてきたところで、そうそう人格に大きな変化が齎されるはずもない。そもそも、人格やら個性やらは、主に五歳までには土台が出来上がるのだそうだ。土台が変わらないなら、その上に築かれる個性もそうそう揺らぎはしない。
 ゆえにどれほど努力を重ねようとも気を遣おうとも、譲は結局九郎や弁慶にとって「わけのわからない」要素を残し続けているし、それさえいっそ“個性”として割り切るのが手っ取り早いと、互いに本能にも似た領域で納得しあっていた。


 大体、同じ時代背景の中で生きていても、熊野か源氏か平家か、あるいは鬼か人か。その違いだけでもこれほどに様々な彩りをみせる個性の集まり。時代背景が違えば突飛さが群を抜いたところでいたしかたないし、群を抜いた突飛さだと感じられないほどに八葉は個性が光りすぎている。
 つくづく、自分はこういう人種と縁があるのだろうかと溜め息をつきたくなるのはどうしようもないと割り切っている。割り切りの良さには妙な自信があったし、何せ実績がある。幼馴染と、兄の個性の強烈さゆえに。


 つまるところ何が言いたいかというと、要するに環境要因によって築かれた人格の土台となる部分は、どうしたって動かせないということだ。人格やら個性やらというが、それはすなわち感性やら常識やらの土台でもある。
 ありとあらゆる価値判断の基準は、幼い頃から無意識のうちに叩き込まれているものだ。
 人を傷つけてはいけません。話をする時には相手の目を見ましょう。自分がされて嫌なことを、他人にしてはいけません。
 言葉にして教え諭されたものもあるし、そうでないものも山のように。たとえば、幼い子供が他愛なく交わす古ぼけたおまじない。転んで泣きそうな子供には、にっこり笑って「痛いの痛いの飛んでいけ」と唱えてやればいい。約束を確認したい時には、小指を絡めて謡えばいい。
 ただ、その手の他愛ないスキンシップが大人になってなお性別を問わずさほど眉を顰められなくなったのが近代を過ぎてからという事実に、すぐさま気づくことは難しかったというだけで。


 満開に咲き誇る桜は、実に美しかった。夕刻になって合流した知盛とを交え、神泉苑の一角に茣蓙を敷くと、一行は実に気楽なピクニックモードである。許可を得て持ち込んだ松明と、見事な満月によって天地から照らしだされる花の雲海。
 思い思いに酒を飲んだり肴を摘まんだり、この世界の常識に照らし合わせればかなり常軌を逸しているらしい宴席ではあったが、その非常識ぶりに慣れるほどには、互いに日々を共にしてきたのだ。
 天地の絆の気安さがあるのか、譲は景時と仲が良いと感じている。のんびり杯を交わしながら日々のあれこれを徒然に語り合い、実に穏やかな時間を満喫していたのだが。
 ふと首を巡らせた景時が口の端を吊り上げ、いたずら気な表情でちょいちょいと譲の袖を引く。
「どうかしましたか?」
「あれ」
 思わず潜めてしまった問いかけの声には、同じく潜められた端的ないらえ。顎を使って示された先を見やれば、耳を端まで真っ赤にした九郎が将臣によって羽交い絞めにされているのと、楽しげなのか微笑ましげなのか、いずれにせよ笑顔が抑えきれないらしい弁慶がいる。


 そういえば、共に過ごす日々の中にはこうして酒を飲み交わせるような気安い時間などなかったかと、思い至ったのは今さらの切なさ。いかんともしがたいこと。そうして現実を誰よりも割り切っているのだろう、けれど誰よりも現実に打ちひしがれただろう人影がふたつ、実に仲良く寄り添っている。
「あてられますね」
「聞いてはいたけど、なんというか、隠さないんだね」
 甘えるように、とも、甘やかすように、とも。知盛の胸元に額を押し当て、とろりと表情をほどいているの頬が上気しているのは簡単に見て取れた。
 類稀なる武将としての側面を持っているとはいえ、やはり彼女も一人の人間。酒を飲めば酔いが回り、酔いが回れば理性の箍が緩むのだろう。絡み酒タイプの人だったのかと冷静に判断する一方、珍しそうに観察している兄の様子から、こうして衆目に曝されるのは珍しいのだろうことを知る。
 ならば、立場やら何やらをわきまえて動くきらいのあった彼女のことだ。きっと主たる青年に対して滅多にみせたことなどなかっただろうし、知盛の右手が困惑するように少し宙をさまよった瞬間を、譲は目敏く捉えていた。しかし結局、知盛の表情はさほども動かない。ただ、あっという間に慣れた調子で、地肌をくすぐるようにして髪を梳く仕草のやわらかさに、彼がこの時間をひどく貴重に思っていることを察することもまたたやすい。


 譲にとってそれは少しばかり気恥ずかしい、けれどさほど珍しくもない恋人同士の光景だろうと感じられるものだ。だが、真っ赤になっている九郎といい、凝視しないようさりげなく視線を逸らす敦盛やら朔といい、この世界では決して“珍しくもない光景”ではないのだろう。
「まあ、これでこそ知盛殿らしいっていうのかな」
 そしてその非常識をこそ納得させるのが、彼という存在。彼を知るものが彼を評す言葉をかき集めて譲が知盛に手向けるのは、“本能”という言葉が似合うのだろうという感慨。
 環境要因も遺伝要因も超えて、人としての本質はどうやら時代にも世界にも左右されないらしいとぼんやり考えていたことを後から明かしたところ、しみじみ「俺は、お前を見ていてそれを感じるぞ」と実兄に返された。不本意ながら認めざるをえず、しかしそれはお互い様だろうと譲は思っている。

Fin.

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