朔夜のうさぎは夢を見る

踊ること

 背に立ち、絶妙の間合いで振り抜かれる刃の気配は、いっそ清々しいものであった。扇舞を合わせるのと、似て非なる感触。切っ先に命をかけての遣り取りを雲上人の愛でる舞になぞなぞらえては不謹慎だろうが、相通ずるものは否定しきれないというのが知盛の見解だ。
 とはいえ、扇舞も戦場での振る舞いも、彼女に比すればすべてにおいて知盛に一日の長があるのも事実。周囲の気配を察するのも、その上で自分以外の存在を気にかけながら振る舞うのも、やはり知盛にこそ許された傲慢さ。
 ゆえに、死角を埋めるようにして刃を振るうの気配を感じ、動きを読むのは背中合わせで扇舞を奉じる時と同じ感慨。重衡に師事することで格段に腕を上げつつあるとはいえ、どうしてもそこかしこにぎこちなさが残る。こればかりは、経験を積み、場数を踏むしかないと知っている。そして、開き切っていない蕾の状態であればこそ、同じ舞台で背を合わせる己の動きひとつ、気遣いひとつで、開花を待つばかりの才覚が片鱗をのぞかせるということも。


 間合いの届かぬ背面を守るようにして足場を定め、かといって軸を捻った際に迂闊にも知盛の刃に触れることのないように。今のにできるのは、それを意識した上で自らの身を守り、眼前の敵を屠ることだけだ。
 正確に初陣と呼ぶのは昨夜の円城寺なのだろうが、規模の違いから、今日のこれもまたある意味では初陣と見なせるだろう。敵味方入り混じれての乱戦となった今はさすがに矢の雨もやんでいるが、敵陣の只中に飛び込んで四方をほぼ完全に敵に囲まれての遣り取りは、少々難易度が高かったやも知れない。
 それでも、音を上げず、呑まれることなく、背を合わせて立ち回る知盛につられるようにして予想以上の動きを見せる。これまで、既にいくつもの戦場を踏み越えている知盛にとって、今回の戦はそれなりにゆとりを持てる程度のものだ。無論、油断や慢心こそは命取り。気を抜くつもりもなければ、なればこそ一人でも多くの兵をより少ない傷で連れ帰ることに意識を割いているのだが、同時に絶好の機会であるとほくそ笑むのを止められない。
 動きを、ほんの少しだけ変えてみる。攻撃の主体は主に他の将兵に任せ、自分はあくまで乱戦の中、共に戦っていると示すことで士気を維持することに徹するつもりだったのを、ほんの半歩だけ踏み出してみる。守りを主体とするのではなく、攻めに傾いた動きへと。


 さあ、ついてこい。ついてこられるだろう。お前の中に眠る修羅を呼び覚まし、御し、降して刃に映してみせろ。
 じわじわと色味を変えて立ちまわるごと、引きずられるようにして動きを変えていく夜闇の気配に、背筋が粟立つのを感じる。
 昨夜のも美しかった。己が導き、磨き上げた戦乙女が実戦の中ではどのような輝きを放つのか、それを鑑賞するのもひどく心地よかった。けれど、これもまた心地良く、快い。背を合わせることでより高みへと舞い上がり、鑑賞するだけでは見出せなかった思いがけない一面を、誰よりも近くでまざまざと感じ取れる。
 それは、彼女を導き、傍らに置くと決め、決して手放さぬと定めたがゆえに得られる悦楽。戦い方を叩きこんだからこそ、どう導けばいいのかがわかる。導き方を知っていればこそ、道筋を示した先で思いがけぬ開花を見せることに、望外の喜悦を得る。
 宿敵として対峙すれば心地良かろうと思ったのは事実だ。こうして背を預け合う以上、知盛はが纏う冷然とした覚悟と殺意を正面から見つめることができない。傍らで見つめるだけでも美しかったのだから、相対すればどれほどか。それを思えば、本当に残念だった。
 しかし、こうしてまざまざと色味を変えていく姿を余すことなくすべて見知ることができるのは、背中合わせに舞っていればこそ。それこそ、この悦楽ばかりは自分以外の誰も知ることができない、唯一のものなのだ。そう思えば口惜しさも凌駕される。たったひとつの側面を知るだけよりは、それを察し、残るすべてを手に入れる方が良い。そう割り切り、欲張るほどには、知盛はに執着している己を知っている。


 導くように足を踏み出せば、つられて動きが大胆になる。刃を翳す先を示してやれば、面白いほどに間合いが広がる。そうして慎重に呼吸を合わせ、まるで意識が溶け合ったような錯覚を覚える頃、知盛の背中には紅蓮地獄を従えた軍女神が姿を現す。
 とはいえ、知盛の導く奈落に完全に身を躍らせはせず、すんでのところで踏みとどまり、身内で燃え盛る猛獣のような狂気の衝動を必死に買い殺す気配は消えないのだからさすがと言うべきか、強情と言うべきか。
 何気ないふりで様子をうかがえば、非情なまでに死と絶望を齎す刃を奔らせながら、拭いきれずにいる痛ましさ。殺気は纏うが殺意は滲ませず、悲嘆の上に覚悟の覆いをかぶせて。
 当人は気づいていないだろうし、決して味方の兵にとって悪しき影響を齎す要素ではないと判じて、知盛はその観察結果を指摘するのはやめておこうと心に決める。こればかりはどうしようもあるまい。あるいは男女の違いかもしれないし、生まれ育ちの違いかもしれない。もしかしたら、経験を積むことによっていつか消えていくのかもしれない。それこそ、背を預け合ってすべてを見届けなくてはわかりようのないことだ。
 哀絶を乗せた殺気を纏い、一門でも随一と呼ばれる知盛とぴたりと呼吸を合わせて刃を躍らせる。そのどことない矛盾を孕ませた姿は、敵兵に恐慌を齎すもの。彼女の滲ませる悲嘆が死を齎す自己への恐怖であると、知る者は知盛しかいない。だから彼女が齎す矛盾を纏った死の旋風は、圧倒的優位に立つという自負と自信から生まれる、さながら神が人に垂れる慈悲として受け止められるだろう。その認識は、敵兵の絶望と味方の士気を煽り、やがてはの名を高めていくことだろう。


 ふと、戦乱の最中にあるまじき思索に一部を割かれていた意識が反射的に一点へと引き絞られた。振り翳した左の刃が受け止めたのは、死角から飛び込んできた敵兵の一太刀。その間、別の兵との鍔迫り合いを繰り広げていた背後の気配は、いつの間にやら思いのほか疲弊しているらしい。
 初陣でありながら移動を挟んでの二連戦。しかも、興が乗ってついついどこまで舞えるものかと煽ってしまった。結果として、精神的な疲労が知盛の目算していた限界値に思いのほか早く届いてしまったのだろう。集中力を保つこともかなりの疲労を齎すが、あわせては、知盛とは桁違いの恐慌を殺して軍場に立っているのだと昨晩再確認したばかりだったのに。
 まあ、楽しみは後に取っておけばいい。次があることは確信できた。戦場の実際に恐怖してもう二度とと首を横に振られることも予想していたが、は恐怖を真っ向から認め、呑み下して深く踏み込むことを選んだ。ならば、どう花開いていくか、彼女がどこまでどのように昇り詰めていくかを、この一戦で見定める必要性はない。経験を積めば積むほど、背を合わせる舞は趣が深まり、心地良さを増すものだと知っている。


 小さく口の端を吊り上げて、知盛は背後の気配を導くために加減をしていた動きの縛りを一気に取り払う。周囲の様子を改めて探れば、趨勢もそろそろ明らか。
「大内守護殿、討ち取ったり――ッ!!」
 そして折よく響いたのは、敵軍の実質的総大将の討ち死の報せ。ざわりと揺らめいた敵兵の失意を、無論知盛が見逃すはずもない。
「なおと思う剛の者は、この俺の首を取りにこい! 我が前に恭順を示すなら、命ばかりは助けてやろう!」
 畳みかけるように声を張り、もはやを導くためではなく、突き放して遙か高みを駆け抜ける動きで一息に刃を振り抜く。その一閃で散った命に視線をくれることなどなく、平家が軍神が戦乱に舞う。いずれこの背で踊ってみせろと、強く強く魅せつけながら。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。