朔夜のうさぎは夢を見る

眠ること

 そよぐ寝息に気付いたからというわけではない。ただ、告げられていた場所に見当たらないことが気にかかって探すことにした。きっかけは、そんな程度のものだった。
 いつもいつだって神経を張り詰め、真に安らぐことなど遠い過去に置き去りにしてしまった悲しい主は、独りでなければあえかなまどろみにさえ沈めぬ性質であった。
 一人では事足りず、独りでなければ。
 そう思わせるほどに自分達は役不足なのかと、嘆いたのもまたそれなりに遠い過去のこと。違う、そうではない。彼はそのような非情な人物ではなくて、けれどその身に宿る才が、実力が、彼を俗世から切り離してしまった。
 淡く、浅く、うつうつとまどろむ向こうで神経を無意識にも張り詰めさせていれば、ただでさえ丈夫ではない肉体があっという間に参ってしまう。だから、主を仰ぐ存在は誰もが主の眠りを守るために、主の傍から距離を置くことを義務付けられ、それに従っていた。いつか、主の独り寝に寄り添う存在が現れればいいのにと、そんな些細な願いを抱くことさえ忘れて。


 だから家長は、なんとなしに探して歩いた主を見つけた時、不覚にも胸が締め付けられるほどの感慨に打ちひしがれていた。
 すよすよと眠るのはいくつかの人影。それはあまりにも美しい夢だった。あまりにも愛しい願いだった。あまりにも切実な祈りだった。だからこそ、敵わない未来をぼんやりと見透かして、誰もが片鱗を描くことさえ忘れた、現実だった。
 子供らが眠っていた。木漏れ日を浴びてすよすよと。異国の話を多く知っている女房殿に何やら物語でもねだっていたのだろう。貴賤の別によって距離に多少の差があったが、同じ場に集うことに異はなかったらしい。それとも、先に一喝でもされていただろうか。思い思いの姿勢で、半円を描くようにして地に腰を下ろしていた。
 一人の娘が眠っていた。幹に背を預けて、すよすよと。長門に一門が腰を落ち着けてより、何か自分にできることをと言っては野山にも躊躇いなく出かけていくため、最近ではあまり耳に心地よくない噂も立っている。それでも凛と顔を上げ、気丈に、優雅に、なせるすべてを余すことなくなしていく強い強い娘。ゆえにこそ主は彼女を気に入っているのだろうと、今や主の許に集う誰もが認める、大切な大切な、彼らの同志。
 一人の青年が眠っていた。子供らに背を、腕を、枕に貸してやりながら、のびのびと大地に寝そべって。体格はまったく違うのに、子供らに紛れて眠る姿にはまるで違和がない。あどけない寝顔は、彼が日頃纏うどこか張り詰めた気配を微塵も滲ませてはいない。怨霊の名を負い、悲しげな瞳で一門を見据え、あまりに深い覚悟と慈愛で修羅の道を行こうとする月よりの客人。どうして彼がここにいるのか、子供らと同じように地に座していたのかを問うのは野暮というものだろう。彼こそは声高に叫ぶ。こうした美しき日常の尊さを。ゆえに彼は刀を振りかざし、ゆえに彼は子らに紛れる。紛れてまさか、午睡までしていたというのは、初めて知ったことなのだが。


 ああそして、そして青年がもう一人。組んだ脚をやはり子供らの枕として供しながら、その左肩を娘の枕に供して。幹に背を預けて、膝に抱きつくようにして眠る子らの髪を梳く指先はどこまでも優しく。
 ふと瞼が持ち上げられ、覗いた瞳はただやわらに笑っていた。ふわりと弧を描いた唇に距離を詰めることの許可を読みとり、家長は細心の注意を払いながらそっとそっと、足を運ぶ。
「お休みのところ、申し訳ございません」
「俺はもう、存分に休んださ」
 潜められた声と同時に、そっと視線が娘を撫ぜる。
「帝がわざわざ、起こしにきてくださったのだが」
 どこまでもどこまでも、声は優しく笑っていた。
「たまには代わってやれと、申されてな。……安芸には、何も言ってやるなよ」
「心得ました」
 言葉の足りない状況説明だったが、欲しかった事情は十分に家長の手に入った。願うことさえ忘れていた中で思いがけず叶った祈りの紡ぐ日常の姿。そこからさらに手を伸ばし、足を踏み入れ、彼女はこうして新しい夢を見せてくれる。願うことさえ思いつかなかった夢を、現に映してくれる。


「お前、今は手隙か?」
「はい」
「なれば、警護の手配を」
 端的に続けられた指示は、無論、言葉にされなかった部分までをも読み取ってこその乳兄弟。ふわりと噛み殺されたあくびに主がもう一度寝直そうとしていることを察して、家長は困惑と歓喜に声が震える。
「姿の見えぬよう取り計らいは致しますが、その、よろしいのでしょうか?」
「さすがに、この人数を俺一人では、お守りするだけの自信がない」
 何とも謙虚な物言いではあるが、それが謙遜にすぎないことを家長は知っており、それが優しい譲歩であることも知っている。ほんの一瞬に満たないほどの時間ではあったが、だから、主は少しだけ切なげに微笑みを揺らした。
「まだ少し、まどろんでいたい……その間の守りを、他の誰に預けろと?」


 独り寝でなくば眠れない日々に打ち立てられた例外は、あくまで例外。けれど、時と場合によるならば、自分達はその眠りをそれなりの距離で取り巻いても構わないのだと。それが許される存在なのだと。
「見張り程度を、手隙の者だけでいい」
「はい」
「それと、御子らの親元に、報せをやっておけ」
「すぐに」
 ぽつぽつと継ぎ足される指示の合間にも、子供のやわらかな髪を梳く手指の動きが、徐々に徐々に、緩やかなものに変化していく。
「任せるぞ」
 その一言を最後に主の手が動きを止め、そよりと深く息が吐き出された。そうして目の前でまどろむ主は、きっと無意識にもどこかで気を張り詰めているのだと知っている。もしかしたら、擬態なのかもしれない。それでもなお家長は嬉しかった。ある一定年齢を越えてより、いかんともしがたい理由で意識を手放した時を除き、こうして彼が自らの意思で家長に眠る姿を許してくれたのは、初めてのことだったのだ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。