書くこと
「しっかしまあ、すげぇ量だな」
「量のみならず、いずれも劣らぬ秀作ぞろいにございますよ」
「……どういうことだよ」
「手習いには、いずれも素晴らしき手本となられましょう、と思いまして」
「ふーん。手習いの、ねぇ」
「ええ。筆運びしかり、歌の読み方しかり、駆け引きしかり」
「………わかってる。わかってるから、そのいかにも胡散臭い眩しい笑顔で俺を見るな!」
「おや、胡散臭いとは心外な」
「その口調が胡散臭いんだよッ! ちなみにわざとらしいッ!」
「演技力があると言っていただければ嬉しいのですが」
「ンなもん、改めて言われなくても知ってるってーの」
深々と溜め息を吐き出し、やはりどこまでも胡散臭くどこまでも眩しい重衡の視線から逃れるように、将臣は改めて目の前に広がる紙の洪水に意識を向けた。艶やかなものから質実剛健な印象のものまで。いくつもの文箱からあふれだすそれは、どうやら物を捨てられない性質であるらしい一人の女房から譲り受けた、恋文をはじめとした文の数々である。
「それにしても、見事なものですね」
「あ? なんだ、お前も俺と同じじゃん」
「私が申しているのは、こうも綺麗な状態で残されていることに対して、ですよ」
「あー、そりゃ、まあな。胡蝶さん、生真面目っぽいし?」
「よくぞまあ、兄上の目をかいくぐって残しておかれたものと」
「……なるほど」
「それとも兄上は、これらがかくな使い道を得るものと、予見していらしたのでしょうか」
「やめてくれ。冗談に聞こえねぇ」
本気でげんなりした声を絞り出した将臣に、重衡はくすくすと喉の奥で笑声を転がす。纏う空気が真逆であればこそうっかり見落としがちだが、こういう何気ないしぐさが、銀色兄弟は本当によく似ている。香の趣味も、言葉遊びにおける言い回しも、女遊びの華々しさも。
それから、貴族連中に混じっている時の、わざとらしささえ一種の魅力と降してしまう、洗練された空気も似ている。重衡はいっそう華やかさを増し、知盛はいっそう艶やかさを増す。ゆえに気づくものは少なかろう。その瞳の奥に巧妙に隠された、戦場に立つ時のそれにも似た、あの鋭い眼光に。
「しかし、本当に。まったくもって見事なものです」
「今度は何だ?」
「私としては、それなりに自信があったのですが」
「だから、何に?」
「胡蝶殿を、騙すことに」
「………あ?」
「これでは自信を砕かれてしまいますね。これまで、一度も見破られたことなどなかったと申しますのに」
「俺は聞いてない。俺はなんにも聞いてないぞー」
「後ほど、どうやって見分けられたのか、うかがってみましょうか」
「聞かない聞かない! 聞いてない! 聞こえないッ!!」
「“義兄上”のことも、誤魔化せたのですけれど」
言ってちらと流された視線は、実にいたずら気に笑っている。聞きたくない。知りたくない。けれどなんとなくわかってしまって、必死に引き剥がしていた視線を、将臣は諦めて重衡の手許に落とす。
「一応、確かめとくぞ」
「どうぞ」
「少なくとも、俺が“そう”思って処理した文とかは、知盛も了解済みなんだよな?」
「さて……数が多すぎて、末端までは把握しきれておりませんね」
「なしなしッ! 今の質問、やっぱなしな! だから、今の答えもなし! 聞いてないッ!!」
「いずれにせよ、過ぎたことです。もはや、動きようもありますまい」
「……お前って、案外楽観主義者だよな」
「兄上が存外悲観主義者であられますので、その分、良い可能性を見つめる必要があるかと思いまして」
あえてなのか何なのかは知らないが、時系列順に揃えられているだけで、差出人も用件もすべてがごちゃ混ぜにされている文の海の中に、ぽっかりと浮いているのは知盛の文箱。そこから丁寧にとりだして重衡が見ているのは、ちょっとしたいたずらの塊。知らずにいれば幸せだったのだろうが、ほのめかされた言葉から察するのは自分が手にしていた報告書類の中にも、同じ類のものが紛れていたという不動の過去。
「一応、聞いとくけど」
「はい」
「お前、胡蝶さんに本気で恋文送ってたわけじゃねぇよな?」
「本気であったならば、私は今頃、兄上から兄弟の縁を切られておりましょうね」
「なら、何考えてたんだよ。悪ふざけにしちゃ、危険すぎるだろ」
「おや、私は遊んでいたつもりなどございませんよ」
将臣の見慣れた、そして見分けることのできる数少ない手蹟を、実はそっくりまねることのできる人物がいたという現実は衝撃だったが、重ねての確認には思いがけない返答がつき返される。いやいや、それはまさか危険すぎるだろうという思いと、もしや自分の知らない恋の鞘当てが存在したのだろうかという不安と野次馬心がすべて表情に出ていたのか。ぱちりと瞬いた向こうで実に自然な苦笑を浮かべ、重衡はそっと唇を綻ばせる。
「見かけも、声も、手蹟の形も。何もかもすべてをもって兄上と私を見紛うことのない方でなくば、兄上からの本気の思いを受け取る資格はございませんからね」
「試してたってか?」
「異国の出自と伺っておりましたので、手蹟を間違われる程度は、見逃してさしあげるつもりではございましたが」
「てことは、お前、これまで自分が出してたテストの結果を知らなかったのか?」
「早々に、これが余計な手出しであることは察しましたので」
「なのに性懲りもなく送っていたと?」
「兄上が手を出しあぐねておいででしたので、お手伝いをしたかったのですよ」
ふわりと笑ってあどけないのか不穏なのかよくわからないことを言ってくれた重衡は、そのままの笑みでとんでもないことを続ける。
「さて、では手本がたくさん集まりましたので、筆運びと歌と、同時に進めてまいりましょうか」
「お手柔らかにな」
「どうぞ、ごゆるりと。ご案じなさらず。将臣殿の手蹟は確かに独特ではありますが、そう遠からず、覚えることができましょうゆえ」
「いやいや! そこはいいから! てか、お前、俺の字を真似してナニやらかすつもりだよッ!?」
「そうですね。手始めに、まずは私の存じている方に文を送ってみましょうか。将臣殿は、どのような女性がお好みですか?」
「そーゆー余計なことしなくていいから!!」
「出会いの“ちゃんす”がなさすぎると、日記に書いていらしたではありませんか」
「人の恋愛を心配するヒマあんなら、自分の相手をどーにかしろよ!」
「まずは“義兄上”に身を固めていただきませんと、私などはとても」
「胡蝶さーん! スパルタとか言って悪かった! こっちのが性質悪ぃから、やっぱ戻ってきてくれ!!」
「後悔先に立たず、ですね」
「清々しいほどに胡散臭い笑顔だな!?」
「さて、はじめましょうか」
「あー、ちくしょう! 覚えとけよ!? お前の腹黒いとこ、ぜーんぶ書き残してやるからなッ!!」
「ええ。そのためにもまず、余人の目にも読みやすい手蹟を学ぶところから、はじめましょうか」
(ってか、お前、さっきさりげに俺の日記読んだ的な発言――)
(さあさあ、細かいことなぞお気になさらず)
(細かくねぇんだよッ! ほんっとに、無駄に妙なところまで似てる兄弟だよなッ!?)
(最上級の讃辞として、謹んでお受けいたしましょう)