朔夜のうさぎは夢を見る

INNOCENT WORLD

 新しい仲間が呼び込まれる瞬間は、期待と安堵と申し訳なさと悲しみと切なさが複雑に混ぜ合わされた気分になる。
 新たな戦力への期待。
 自分は一人ではないという安堵。
 まだこうして誰かを巻き込むことへの申し訳なさ。
 誰かが“現実”で死んだことへの悲しみと、きっとこの悲劇に希望を見いだすだろうことへの、切なさ。
 なんとも複雑だ。複雑にすぎて、けれど抜け出せない。すべてを終わらせるまで、終えたりしないと決めた。
「……二人?」
 光にかたどられていくシルエットを見つめていた鈴木が呟く。だが、それよりもその服装にこそ注目すべきだろうと玄野はこぶしに力を籠める。
 血と泥に汚れた、裾の広いズボン。手袋に覆われてなお鍛え上げられていることが明白な、がっしりした手指。
 ああ、いや。玄野もまた現実逃避を認めざるをえないか。違う。それよりも着目しないといけない。
 彼らは、何を纏っている?
「着物か?」
 あんなに裾が広く、袖がたっぷりした洋服はそうそう見かけない。呟きは誰もに事実を突きつける。そうだ。この新しい仲間は、なんと着物を纏っているのだ。
「なんかのイベントだったんスかね」
「じゃあ、これは血糊かな?」
 櫻井がぼそりと続ければ、すがるように鈴木が続ける。だが、鈴木はこの茶番に巻き込まれて長い。血糊と本物の血の区別ぐらい、つかないはずがないのだ。
 すっかり全身を現した新しい仲間は、二人の青年だった。背を真っ赤に染めた青年を支え、庇うように、もう一人の青年が腕を回している。


 ああ、確かに彼らは死人だろう。転送によって傷も傷痕もすべてリセットされる。だが、それは“転送のきっかけになった傷と傷痕”だ。それ以前に浴びた血と泥があれほどにあるのなら、シチュエーションは想定できないが、ダメージの深さはわかる。
「知盛ッ!」
 転送が完了すると同時に、腕にもう一人を抱えていた青年が背中から床に倒れこむ。そして、周りをさっと見て怪訝そうな表情を浮かべ、けれど真っ先に腕の中へと視線を向けた。
「おい、生きてっか!?」
 血に濡れた上着は、ばっくりと縦に裂けていたらしい。目を閉じたまま力を失っている首を肩で支え、布地をかきわけた指先は多くの傷痕の残るくせに珠のような肌を露にする。
 ぞくりとしたのは、何に対してか。その傷痕に恐怖したのか。思いがけない色香にあてられたのか。それとも、その傷の数に、期待したのか。
「……お前、やはり、そちらの趣味か?」
「違ぇっつってんだろ!」
 だが、玄野の困惑など露知らぬだろう二人は、慣れた調子で言葉をかわす。
「てか、なんで生きてんだよ?」
「知るか」
「それと、なんで庇ったんだよッ!?」
「責められることなのか?」
「当たり前だろ!!」
 ゆるりとした所作で体を起こし、肩を軽く回しながら転送されてなおダメージが抜けきっていないのかと思われた青年が、ついと視線を流す。
「ここは、どこだ?」
 ひたと据えられた瞳を星人のそれに似ていると玄野は直感する。そのゆえんには、思い至らないのだけれど。


 説明は既に手慣れたものだ。ただし、いつものセリフとは少しずつ変える。なにせ彼らこそが非常識。むしろガンツによって生き返らされた状況の方がいくぶんまともに感じられるのだから、救いようがない。
「つまり、なんだ? ミッションこなして、点数ためれば帰れるってことか?」
 どこのRPGだよ、というぼやきにも似た独り言には何も返さない。玄野にしてみれば、彼らこそがふざけているのだ。
「そっちの人。聞いてました?」
 真っ赤な上着を着ていた青年はともかく、もう一人の青年はどことなく挙動不審である。とにかく説明しようと名乗り出た玄野を一瞥したきり、相手をすべて放棄して、物珍しげに窓の外を覗きこんでいる。
 ここがどこかわからないかと、確かに外を見やるのは新入りに共通の行動。だが、違う。彼の様子に、そんな切実さはうかがえない。ただ、物珍しいものを、興味の赴くままに眺めやっているにすぎないのだ。
「敵を、斬ればいいのだろう?」
 ゆるり、と。向けられる視線は気だるげで、剣呑だった。いきなり「帰りたければ戦え」などという非常識な要求をつきつけられたのに、戸惑いはない。そういえば、先の彼もそうだった。戸惑いも、躊躇いも、何も。まるで、戦うという非日常に、染まりきっているかのように。
「……アンタら、何者だ?」
 服もおかしい。汚れ具合もおかしい。髪と眼の色が非常識なのはともかく、感覚がおかしすぎる。
「お前らの同類、だろ?」
 問いただす鋭い声に答えたのは、赤い上着の青年の、「これ以上は聞くな」と雄弁に語る声音だった。


 違和感は拭えない。だが、時間はそう残されていないだろう。ガンツに呼ばれたのは、新たな出会いのためではなく、ミッションのためなのだ。
「とにかく、これに着替えてください。えーと、」
「あ、悪ぃ。聞いたのにこっちが名乗ってなかったな」
 ガンツに呼びかけた玄野が取り上げたトランクには、どうやら下の名前とおぼしき文字が刻まれている。
「俺は有川将臣。コイツは知盛な」
「じゃあ、こっち」
 確かにトランクには“まさおみ”と“とももり”と刻まれている。無口なままの知盛はともかく、興味深そうに開けて中を見た将臣は、眉間にしわを寄せて知盛のトランクに目をやる。
「同じモンだよなぁ」
「で、あろうな」
 見れば知れる。そう呟く知盛の視線は、そろいのスーツに身を包んだ玄野らに向く。
「着替え、マスト?」
「強化スーツだし、着ないと死にますよ」
「……だよなぁ」
 そして、盛大にため息をついて知盛の腕をとる。
「ほら、とりあえず違う部屋に行こうぜ」
 たかだか着替えでなぜこんなにも渋るのか。符牒はひとつずつ、順調に積み重なっていく。薄々予感していた彼らの不可思議を玄野が目の当たりにする時間が、刻一刻と近づいている。


 スーツにて肉体の線が露わになれば、彼らがいかにその身を鍛え上げているのかが嫌でも知れた。慣れない感触に戸惑っているのだろう。じっと手を見下ろし、握って、開いて、と繰り返す姿ばかりは微笑ましい。
 いつものようにけたたましい音楽を皮切りに、ターゲットが選定され、そのまま目標地点へと問答無用で送り込まれる。身を守ることに専念してもらうといえ、無手というわけにはいかない。敵との距離を詰めなくてすむ方が気が楽だろうとショットガンを薦めたというのに、将臣は剣はないかと問うし、知盛に至っては銃の持ち手さえわかっていないらしい。
「最初は慣れないと思うし、見ていてくれれば、それで――」
 ターゲットはまだ見当たらない。きっと困惑しているだろう新入りへのフォローを鈴木に任せ、周囲に油断なく注意を払っていた玄野の視界の隅を、あからさまに怪しい影が動く。
「いた!」
「逃がすか!」
 すぐさま連携をとり、包囲網を完成させるべく動き出したいつもの仲間の間を、そして駆け抜けるのはふたつの人影。
「アイツらを倒せばいいんだな?」
 玄野の脇をすり抜けながら、呟いたのは将臣。そのまま一歩先んじていた知盛が先手必勝とばかりに微塵の迷いもなくターゲットの首を切り落とし、周囲から湧いてきた仲間とおぼしき星人達を、将臣が薙ぎ払う。踏みこむ隙もなければ助太刀する暇もない、完璧な連携。圧倒的な戦闘力。
「悪ぃんだけどさ」
 どろりと薄気味悪い体液に溶けながらカタチを崩していく星人にはもう見向きもせず、上半身を振り返らせた将臣は、視線だけを流す知盛と目配せを交わしてから肩をすくめてみせた。
「俺ら、早いとこ戻んないとならねぇんだ」
 ありえない、ありえない。あの戦闘力も、迷いのなさも、ただ唐突に巻き込まれた一般人としては、ありえない。あらかじめ聞かされたとはいえ、命を絶つことにあれほどに迷いを見せない存在など、少なくとも玄野は見たことがなかった。まして、今日のターゲットは見かけが人間にそっくりだったのだ。それを、あんなにも迷いなく、呆気なく殺すことができるだなんて。
「どこに、戻るんだ?」
 玄野は、自分が強いことを知っている。少なくとも今の仲間の中では、トップの戦闘力と点数を誇る。だが、いや、だからこそ。目の前の二人との歴然とした差がわかる。違う。彼らは、生きている次元が違う。
「この世の地獄にな」
 裏表などまるでなさそうな人好きのする笑みを浮かべて将臣が告げた答は、背筋が震えるほどの深い情念の篭められた、愛の告白のようだった。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。