九百九十九本の薔薇
どうしても見せたいものがあると、まさか自分が誘われる側になるなど、知盛にとっては予想外の展開であった。もちろん、娘がこれで意外に広い人脈を持ち、しっかりとした人望に支えられていることは知っている。その礎を築くにあたり、一役買ったという自負があればこそ、なお。
何を見せたいのかと問い返せば、それは邸にはないと言う。邸から出ることなど滅多になく、あったとしてもそのすべてを知盛が把握しているはずなのに。
馬で遠乗りに出かけましょう。たまにはいいではないですか。いつも、たくさん頑張っているのですから。
日頃から穏やかに笑う娘だったが、その日の笑顔はいつにも増してゆったりとやわらかで、まるで母のようだと思った。かつて、まだ、何もかもがありふれた日常でしかなかったあの日々に見た、それ。
悲しいかな、今の母の笑みは、どこかにほんのり陰がある。どうしようもない悲しみと、苦難を知ってしまったからこそなのか。今のこの平坦な日常を、痛いほどに愛おしむ慈笑。知盛は、あの笑みが実は、ほんの少し嫌いだ。
本当はわたしが手綱を握って、目隠しでもしたいくらいなのですが。でも、そうはいきませんから。だから、近くに着いたら、その先は馬を歩ませましょう。知盛殿にはそこだけ目隠しをしていただいて、馬はわたしが先導します。大丈夫、黒陽は賢い子ですから、きっとわかってくれますし。
くすくすと笑って楽しげに計画を語る姿に、知盛が反駁する理由などない。言われるがまま、連れていかれた先には真紅の花が咲き乱れている。
噎せ返るような芳香よりも、ただ、重厚な紅色が印象的だった。田畑の広がる光景にはあまりにも似つかわしくない、妖艶な一角。
以前、将臣殿になにやらおっしゃったのですか? なんでも、ヒノエ殿や九郎殿方と結託して、手ずからこちらに花を育てていらっしゃったのだとか。その光景があまりにもおかしかったのでしょうね。日に日に、近隣に住まう方が手を貸してくださるようになり、たった一年で、これほどまでに広がったのだと。摘んでしまってはもったいないので、ぜひ、知盛殿と見に来るといいとお誘いいただきまして。
数えることは能わない。幾百もの花が、ただただ美しく咲き誇っている光景を並んで眺めながら、娘はただ穏やかに、言葉を紡ぐ。
わたしがかつて過ごした場所では、この花は、愛を語らう象徴でした。色に、本数に、ありとあらゆる愛の言葉を篭めていましたが、わたしはあいにく、そういったことには無縁で。
知盛を置き去りに、数歩の距離を歩んで薔薇の花に指を添え、娘は声音で確かに微笑んでいる。
そしてそのまま、娘は知盛を振り返った。数えきれない花を背に、すべてを抱えるように両腕を広げて。
この花々を、わたしはあなたに捧げます。
きっと、知盛がその本数の薔薇が示す意味を詳細に知っていることを知らないのだろう。けれど知盛は知っている。知っているのだ。
九百九十九本の薔薇は、死をも凌駕する永劫の誓い。
添えられたあまりにも無防備なはにかみ顔が、その覚悟を確かに秘めていることも、また。
999本の薔薇は、契る
何度生まれ変わってもあなたを愛す、と
Fin.