冷酷無比たる戦姫
知盛の予想は、良くも悪くもひたすらに裏切られるものであった。
娘は確かに、戦場にあってこそ光を放つ存在。艶やかに、鮮やかに、いっそ蠱惑的なほどに。その振る舞いにも実力にも背筋が震え、血が沸き立った。彼女が敵でないことが惜しまれ、背中に在って駈け抜ける戦闘のやりやすさには驚嘆の吐息が唇をすり抜ける。それは嬉しい誤算であり、歓迎すべき裏切りだ。だが、それだけでは終わらない。
「知盛様、これは――」
「……お前達は、下がっていろ」
先に陣へと戻り、状況を纏めて撤退の準備にかかれ。還内府殿への戦果の伝令も、忘れるなよ?
すっと距離を詰めて遠慮がちに声をかけてきた家長に淡々と指示を残し、腕の一振りで居並ぶ兵達に陣への帰還を促す。知盛の配下に、知盛の言葉を聞かないような兵はいない。彼らに仰がれるに値するだけの実力は自負していたし、己の愉しみを譲る気はないものの、郎党を抱える主君としての責務を果たすだけの理性まで捨てた覚えはない。その結果、一門の中でも最も統制の取れたと謳われる軍を率いることに成功している。
中でも主の性格から思考の傾向まで、おおよそすべてを把握している家長は、同時に優れた将でもある。兵達を預けて撤退の準備を任せるに躊躇いはなく、兵達もまた従うことに躊躇いはないだろう。これもまた、それなりの頻度で見受けられる知盛の気まぐれ。だが、いつもであれば仄かな苦笑を残して素直に従う家長も兵達も、一様に戸惑う視線を向けて躊躇っている。
彼らの視線は、知盛を撫でてからそのまま一人の娘へと向かう。戦場に連れ出すことは禁忌とされる、女の身。なれど、誰の目にも明らかな戦功の高さゆえに、きっとこれからも戦場に舞い続けるだろう剣舞の名手。もはや抵抗の意思などなくなんとか逃れんとする敵兵をも容赦なく切り伏せる、冷酷無比たる戦姫。
「連れてきたのは、俺だ……責を負うと、そう、言ったからな」
もう一度、今度は視線を添えて手を振ることで撤退を言いつけ、知盛は嘆きと恨みをない交ぜにした殺意を纏う娘の間合いへと足を踏み入れる。
娘の戦う姿は美しかった。太刀筋には悔いと哀れみが滲み、それらを凌駕するほどの覚悟と殺意で貫かれていた。隙など微塵も作らない。己の体格、膂力、体力、呼吸、それらすべてを正確に把握し、余さず使いこなすことで男女の差を超越している。きっと己ならばこう鍛えるだろうと、思い描くすべての完成形が、そこにはあった。だからこそ、許しがたい。
悔いも哀れみも否定はしない。嘆くことを止めもしない。ただ、恨みに溺れて振るう刃は許しがたかった。だってそれは、彼女の意思であると同時に彼女以外の存在の呪縛。彼女自身の美しさを彩る側面もあるが、彼女からその自我を奪う側面もあるのだ。
「……やめておけ」
太刀筋を読むのはたやすかった。彼女は実に基本に忠実に刃を扱う。そして、その基本は知盛にとってあまりにも見慣れたそれである。空を切り、唸りを上げる刃は決して軽くなかったが、いくら超越しようとも男女差はなくせるものでもない。彼女に実力の劣るものならばともかく、知盛には彼女の刃を受け止めるだけの実力もいなすだけの膂力もあると、それだけのこと。
刃の合わさる音と知盛の声と、いったいどちらに反応したのかは知らない。ただ、娘は種々の感情に濁っていた瞳に光を取り戻し、己の築き上げた惨状を呆然と見渡すことで、混乱と絶望とを深めていく。
「害うな」
刃を払いながら紡ぐのは、忠告か、願望か。己でも判然としない思いを、けれど知盛はあえて詳細に見つめようとは考えない。ただ、胸の底から湧くがまま、告げようと思う言葉があればそれを音に変えるだけだ。
戦場にてその渦巻く陰気と狂気とに呑まれるものは、実はさして珍しくもない。自覚の有無やら程度の差やらは存在するが、どうせ誰もが呑まれるのだ。知盛自身はそれにあえて踏み込み、酔うことにこそ悦楽を見出している。だから、呑まれた先で自己を見失うことはないが、そうなってしまう思いもわからんではない。
だが、娘はどうやらそういった事情とは違うようだった。醒めてよりこちら、己の所業に自覚がなかったことを悔い、そんな無様さを曝したことをこそ恥じる気配。それは、戦場にて己がいかに在るかを正しく把握しているものであればこその自己嫌悪。その意気や、よし。戦い方も振舞いも心意気も、すべてが己の琴線に触れる姿に娘を拾った己の直感の正しさを知り、同時に娘が必死に抑えている絶望の存在を、いよいよ強く確信する。
「お前、何をかくも懼れている?」
答えを得られるとは思わなかった。それでも問うたのは、娘自身が答えを紡げずとも、その瞳に、表情に、気配に、答えの片鱗を見出せるかもしれないと考えたからだ。こうも興味深い存在は珍しい。なればこそ余さず知ることで退屈凌ぎにしようと思ったのに、混乱と絶望を湛えながらも、恐れずひたと見返してくる夜闇色の透明な視線に、知盛は娘を拾ってからずっと燻ぶっていたわだかまりが疼くのを自覚する。
Fin.