歪みゆえの美しさ
女物の鎧を用立てることはできないか、と。思いもかけず愉快な話を持ってきたのは、きっと彼こそが最後の関門になるだろうと予測していた張本人だった。あの彼の頑なさを、さて、どのようにして説き伏せたものかと考え続けていた分、返す驚愕と愉悦は予想以上に深い。
「なんだよ、何がそんなに面白いんだ?」
「ああ、これは失礼」
むっつりと唇を引き結び、眉根を寄せる表情は存外子供っぽい。そういえばこの“義兄”は自分よりも年下なのだと、そんな当たり前の事実をふと認識するのは、こういう瞬間だ。
「しかし、いったいどんな心変わりだ?」
「うっせぇ。どうしてもって、そう言うんだから仕方ねぇだろ」
面倒をみるつもりはなかったが、知盛は自分が軍場で拾ったかの娘から興味を失いはしなかった。興味を失い、完全に手を引くには彼女はあまりにもおもしろすぎる。
太刀筋の美しさは一目見ただけで明白。携えていた小振りの小太刀がいかな逸品であるかは、預かり検分したことでより確信が深まった。あれだけの実力を保持するからには、きっと最初から軍場に出せばより興味深かろう。振りぬかれる刃の銀光と靡く黒髪の軌跡は、実に美しかった。
あの娘は、阿鼻叫喚の響き渡るこの世の地獄においてこそ、その美しさが映える存在。そう直感すればこそずっと彼女を従軍させたいと主張し続けていたのだが、何せ総領という権限は重い。彼女を自分の愛人という形で引き取った還内府が「それだけは認められない」と言い続けるものだから叶わなかった欲求が、こうしてより規模と重みを増した舞台を前に、その当人によって叶えられようとしている矛盾のおかしさよ。
不本意極まりないという声音で呻いた青年にひとしきり喉の奥で転がす笑声を与えてから、知盛はどこかしらに控えているのだろう家人を呼んだ。
「誰か」
「ここに」
間髪置かず返されたのは、実に都合のいいことに乳母子である郎党の声。ちらと視線を音源の方向に流しながら、何ごとかと目を瞬かせる将臣をよそに、端的に命じる。
「アレを持ってこい」
「承知いたしました」
低く頭を沈める気配と、遠ざかる足音。用立てようと手配をした折には誰もが怪訝そうに眉を顰めたものだが、こうして現実に必要になったのだから、やはり自分の直感は正しかったのだろう。やがて訪れる一層の愉悦の予感に小さく唇を吊り上げながら、怪訝そうな、あるいは不審そうな視線を向けてくる将臣の無言の問いかけは黙殺する。
しかして披露した特製の鎧の一式に、将臣は呆れかえったと言わんばかりの溜め息を吐きだす。
「……お前、これ、いつの間に用意してたんだよ」
「還内府殿に断られようとも、ご当人の了解さえ得られれば、と……そう、思っていたゆえな」
先んじて用立ててみたのだと、正直に返せばさらに深い溜め息が重ねられる。
「嫌だって言われたらどうするつもりだったんだ?」
「厭いはせんさ」
詰るように差し向けられた問いには、絶対の確信を返す。断られる可能性など、知盛は微塵も考慮していなかった。考慮する必要なぞあるまい。血と死にまみれた戦場においてあれほど泰然と、あるいは情景に溶け込んで存在していたのだ。あの娘は、己がどこに立てばその力を正しく揮えるかを知っている。知らないはずがなく、知ってなお惜しむような存在ではないと確信できた。
「アレは、己の価値を知っている……己がいずこに在りて、いかに在ればその力を引き出せるのかを知り、そう在ることを拒まぬだろう」
「………なんで、そう思うんだよ」
「そういう瞳をしていた……。それだけだ」
そうでなくば、説明ができない。だって彼女は、戦場に在ることへの絶望は微塵も浮かべなかったくせに、知盛を見やって絶望へと堕ちていった。なればこそあの娘は戦場を求めるだろう。あの阿鼻叫喚の響き渡るこの世の地獄の中に。絶望を紛れさせ、夢想に溺れるために。
もっとも、直感をそのまますべて告げてやるには、知盛は彼女に興味がありすぎた。楽しみを明け渡さないうちにと次なる罠を張り巡らせながら、薄く笑う。
「何なら、俺の下でお預かりするぜ?」
「……その辺は、今度の軍議で正式に打診する。とりあえず、心積もりだけしといてくれ」
「“還内府殿”の、御心のままに」
苦しげで哀しげな瞳ばかりは亡き長兄を思い起こさせる青年には、きっと彼女の歪みゆえの美しさは見えはすまい。そして、それでいい。
かくも歪んだ愉悦を用立てねば退屈さに埋もれて呼吸にさえ厭いてしまいそうだなどと、そんな破綻した在り方は、だって異なれども長兄を思わせるあの気配に、あまりにも許せない穢れなのだから。
Fin.