ぬばたまの
瞳の奥に殺されていた激情と渇仰が、静かに崩壊する姿を知盛は黙って見つめていた。死人が現し世に戻されるのだ。どのような不可思議が起ころうとも、もはや微塵の感慨も沸くまいと思っていた。事実、空から不意に光を纏って舞い降りた娘を見ても、何の情動も覚えなかった。ただ、振りぬかれた刃の軌跡を、美しいとは思ったが。
「知盛様?」
ありとあらゆる感情が崩壊し、絶望を体現して娘はその美しき瞳を閉ざした。ぬばたまの、と。その言葉がよく似合うだろう、夜闇色の遠い瞳。同じくしっとりと流れる夜闇色の髪が砂土に汚れるのが忍びなくて、腕を差し伸べれば戸惑ったような部下の声が背中に響く。
「その娘を、いかがなされるおつもりですか?」
「還内府殿に、いい土産だろう?」
中でも最も知盛の言動の突飛さに慣れているだろう腹心の部下にして乳母子の声には、くつくつと、退屈しのぎを見つけた愉悦に喉の奥で笑いを転がす。
抱き上げた娘はやわらかく、くったりと力を抜いて知盛に身を預けていた。それでもなおと握り締められた刀は、実に趣味が良い逸品。あの太刀筋も、伊達や酔狂ではないということだろう。
防具のひとつもつけず、しかし纏う衣装は男物をなぞらえたのだろう鎧下もどき。手のひらの皮膚は硬く盛り上がってもいないが、腕やら腰やら、触れて感じる筋肉は、剣を振るい続けた彼女の過去を髣髴とさせる。
「さて、お前はまこと、ナニモノなのか」
丁寧に指を剥がして刀をその腰の鞘へと納め、知盛は改めて両手で娘を抱き上げる。仰のいた首筋の白さも、流れる髪の美しさも、すべて見知った女のそれでありながら内に秘める何かが違うことを直感し、いっそうの愉悦の予感に、知盛は低く笑い続けていた。
拾ったからとて世話を焼く気など一切ない知盛は、陣に帰るなり「お前、どこでその人攫ってきたんだよ!?」と叫んでくれた年下の義兄に、早々に娘を譲り渡した。渡された将臣は実に迷惑そうな、そして困りきった表情を浮かべていたが、それは知盛の予想通りの反応なだけであり、特に何の感慨も起こらない。
「天から降ってきたんだ……兄上の、同胞やもしれんだろう?」
連れてきてやったんだから感謝しろと、そう尊大に言い放てば、眉間に皺を寄せた将臣が深々と息を吐き出す。
「なんか妙なことがあったって報告は受けてる。けど、仔犬や小鳥を拾うのとは違うんだぜ?」
いずれもかつて拾ったことのある存在を引き合いに出されるが、そんなこと、知盛の知ったことではない。拾いはしたが、世話はしない。その姿勢はかつても今も変わらないのだ。
「いいじゃないか。……女を囲っておけば、側室の斡旋を断るいい口実になるぜ?」
「そりゃ、まあ、そうかもしんねぇけど」
「後は、好きにしろ……俺は、もういらん」
「いらんって、おい!」
追いかける声を無視してゆらゆらと足を踏み出せば、改めて背後から大げさなまでのため息が聞こえる。それでも、ついで「薬師を呼べ!」との指示が聞こえてくるのだから、本当にあの義兄は義理深く、情に篤い。口の端をにったりと吊り上げて歩きながら、知盛は次の一手をどうするかについて、考えをめぐらせる。
Fin.