朔夜のうさぎは夢を見る

御簾の使いかた

「しかし、将臣殿。日が当たって暑く感じることはご理解いたしますが、御簾をここまで下ろしていては、風も通りませんでしょうに」
「風の通り道は開けてあるぞ」
 水場かどこかで冷やしておいてくれたのか、桃は程よく冷えていて、暑さにやられた体に実に優しかった。
 直射日光なんぞ浴びてたまるかと、美白に燃える現代の女性陣顔負けの勢いで御簾を下ろして日陰を確保した私室に小首を傾げた重衡は、きっちりと直衣を着込んでいるくせに、ちっとも暑苦しく感じられない。何だ、この理不尽。
「ほら、そこ」
 とはいえ、せっかくの差し入れを持ってきてくれたんだから、疑問にぐらい答えようという常識は、暑さでとろけた俺の脳みそにも残っている。果汁がついた指を舐めてからひょいと示したのは、床からわずかに浮く程度に絡げてある御簾の裾。
 黙ってやりとりを見守る知盛の視線がますます据わったことは、この際だから置いておく。


 いやいや、よく考えてほしい。この世界には、暑くなった空気を冷やす道具がない。手段もない。だからこそ、空気を暖めないことが、快適に過ごすための大前提だ。
「だって、日が差したら、暑くなるだろ」
「まあ、その通りですが」
「だったら、日が差さないようにしとく方が賢くねぇか?」
「その通りだとは思うのですが」
 困ったように眉根を寄せる重衡は、きっと自分の常識とのずれに苦しんでいるんだろう。困らせるつもりはないが、俺自身の快適さのためにも、俺は俺の主張を譲る気はない。だっていうのに、空気をあえて読まない男がいたんだよな、ここに。


「――って、知盛! 何してくれんだよ!?」
 いきなりするっと立ちあがったかと思えば、知盛は無言でするすると御簾を半分ほどまで絡げていやがる。のんびり齧っていた桃を置く場所に困って出遅れた俺を振り返り、本当に、心の底から呆れかえった声で、一言。
「このあたりまでなら、絡げておいても日は差さん。この程度は絡げておいた方が、風が通る」
 反論の余地なんか微塵もないほどの理路整然とした主張に、俺が返せたのは「……あ、そう」という間の抜け切った納得の言葉だけだった。

Fin.

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