朔夜のうさぎは夢を見る

燈花にゆらめく

 夏の宵の暑苦しさを少しは和らげられないかと、院が内裏の池に蛍を放った。
 ゆらりゆらりと水面に頼りなく明滅する光が美しかったと、晩酌のついでに語ったところ、珍しく娘が回顧を語り出した。


 わたしのいた世界は、闇がどうにも恐ろしかったようで。いつも、どこに行っても、闇は光に駆逐されようとしてばかり。
 ゆったりと言葉を選びながら、娘は、彼女にしかわからない過去に沈む。
 けれど、闇の中に光を灯して、その美しさを愛でることもまた、ことのほか好まれていました。


 夏の夜に、そんな祭に出向いたことがあります。
 東大寺も、興福寺も、春日大社も。
 みなみな灯籠に照らされて、夏の夜闇にぼんやりと浮かび上がるのです。
 日が沈んでから寺社をおとなう時の、あの恐ろしさはなく、昼とは違った神聖さがあって、それはそれは、不思議な心地になりました。
 いかにその光景が美しいかを言葉にしようとして、そして詰まったのだろう。困ったように眉根を寄せ、娘はもう一度、本当に美しいのです、と繰り返す。


 郷愁に沈む横顔は、美しかった。
 悲しげではない。だが、切なさが、滲む。
 だから、男は淡く笑む。切なさを、隠さずに。

――共に、見てみたかったものだ。

 それは、永劫に叶えられない、夢のような願い事。




(ゆらゆらと、ゆらゆらと。)
(指先に、仄かな幻想が灯される。)
(見知らぬ記憶に、漂っていく。)

Fin.

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