クリスマス裏事情・裏の裏
厨に訪れることなど、生まれて初めてのことだった。興味深く娘の立ち回る様を観察しながら、鼻腔をくすぐりはじめた香りにそっと双眸を細める。
毒見をはさむ必要性は早々に理解したようだったが、娘はそれでも、できれば料理は作ってからさほど間をおかず食すようにと要求していた。冷めたそれよりも温かなそれの方がおいしいし、身体にもいいと。薬師としての側面も持つ娘の言であればこそ、それなりに根拠があるのだろうと思い、けれどほとんど聞き流していた知盛は、調理を目の当たりにしてようやくその言葉の現実味を納得する。
今日は、山野に繰り出して気ままに馬を駆り、鷹を飛ばさせながら狩に興じた甲斐もあってか、心地良い疲労と空腹感を覚えている。その上で厨のこのさまざまな料理のにおいをあたたかな湯気の気配と共に吸い込めば、なるほど空腹感は促進されるし、食欲が自然と湧いてくる。冬の空気は冷たい。冷めた料理よりは、確かにこの出来立てのあたたかな料理を口に運ぶ方がよほど身体によさそうである。
将臣から説明を受けた際にあらましは聞いていたが、改めて娘に問うてみれば、少しばかり観点の違う説明が返される。ようするに騒ぐための口実だと、最も根本的な部分は同じだったが、娘はさらにその基となったあらましを簡単に口にした。いわく、異国の民が救いを求めて崇め奉った存在の、生まれを祝する日なのだと。
生誕を祝すという慣わしは、知盛の感覚にはない。将臣の世界ではそれが常識だというし、娘もその通りだと頷いていた。けれど、知盛はその“常識”を、娘の口から聞いたことがなかった。だから、すべて将臣の話を聞かせてやり、同時に確認を取るその場面でしか娘にとっての“常識”が何であるかを知る術がない。
娘は、この世界に身を埋めるのだから、この世界の慣わしに沿って生きることにしたのだといつか笑っていた。だから、無聊を慰める話にと求められればいくらでも語るが、そうでないなら別段、語るつもりもなければ求めるつもりはさらさらないと。それは正しいことだと知盛も思う。ないものをねだっても仕方がない。それでも貫くべしと判じた事柄に関しては、娘は強固な意志でもって貫いている。だから、それ以外は周囲にあわせるのだと、その柔軟な生き方を器用だと思うことはあってもそれ以外の感慨を向けるつもりはない。ただ、こうして知るたびに、ああコレは自分とは違う世界の生き物なのかと、胸の片隅でそう思ってしまうだけで。
何かしら、故郷から引き剥がされたその心を慰める品を食膳に提供してやろうと思い立ったのは、気紛れだったと主張しておく。哀れんだわけではない。同情したわけでもない。ただ、自分の知らない世界を垣間見る好奇心からの気紛れ。先日のハロウィンとやらは、一切関知しなかった。それどころではなく忙しかったというのが理由だが、その後にわざわざ国母たる妹に「次は付き合ってくださいね」と釘を刺されるのは予想外だった。
立場の違いという理由ではなく、仮にも妹の数少ないわがままを聞かされた兄として。思わずその場で二つ返事を返したその次の機会とやらが、かくも早く廻ってくるというのもまた予想外だったわけだが。
至高の方である幼い甥も、憂いの拭われることのない妹も、歪みはじめた一門の姿を見て視線を落としている母も、深い愛と狂気を孕んで黄泉から舞い戻った父も。楽しげにあれこれと話を披露する客人と声を上げて笑っている。その情景が、どれほど尊いものであるかを、知盛は知っている。だから、感慨を飲み込みながらいつもよりもあたたかくてやわらかな気紛れを思い立つ。どうか、このまま我らにとっての光であってくれと願いながら。
途中で味見をはさみ、時を、海を隔てても変わらぬヒトの業を少しだけ嗤い、そして知盛は用立てていたもうひとつの気紛れをそっと取り出す。
「少し早いのだろうが、パーティーと、しようではないか」
生誕日を祝うのだと言ってあちこちに「お前はいつの生まれだ?」と聞いて回り、酒宴を催していた客人を見て、せっかく問うてやったというのに娘は「ですが年明けに一緒にお祝いをしていますし」と言ってはぐらかしてしまった。ハロウィンは異国の盂蘭盆会だというし、今後、客人が新たに何か騒ぎの口実を提供してくれたとしても、それが娘の見解と一致する保証はない。ならば、こうして同じく「宴を催し、贈り物を交わす」と言っていたクリスマスを、逃す手はない。
さすがに幾年も共に過ごしているから、好みは把握できている。好きそうな色を中心に、襲を考えやすいよう選んだ布は、娘をよく彩ることだろう。もしかしたら、一部は知盛の衣になって還ってくるかもしれない。だが、それはそれで楽しみなことだと口元が綻ぶ。料紙は還ってくることはなかろうが、知盛が自分付きの女房をいかに重用しているかを周囲に牽制するいい材料になる。
周囲の常識にあわせる部分の方が圧倒的に多いのだろうから、こういう宴席の口実ぐらい、求めればいいのだ。異世界の風習だからと、一顧だにせず切り捨てるほど無情であるつもりはないし、日頃の姿になよやかな部分がろくに見当たらないからこそ、逆に甘やかしてみたくなる。
――クリスマスはな、それと、恋人同士の一大イベントなんだけどな。
俺、カノジョいなかったのは良かったんだか悪かったんだか。あっけらかんと笑って嘆いてみせた客人の徒然なる語りを思い返し、さて、どうせ通じぬのだろうがと思いながら簀子へと出る。
「知盛様」
「済んだか?」
「はい。委細滞りなく」
しばし進んだところで行き会った女房に呼び止められ、満足のいく答に小さく笑んで知盛は「ご苦労」と返す。
「あとはいつもどおりで構わん。人払いと、それと、アレには俺の曹司にと伝えおくよう」
「承知いたしました」
まあ、通じなくとも構うまい。サンタは良い子にプレゼントを齎すものと聞いた。今はまだ、それでも構わない。だから。
「俺には、お前のすべてを寄越せよ」
低く低く、呟いた視界に映った風花にうっかり「クリスマスには積もるか」と考えた自分の思考の毒されぶりをやはり低く笑い、上機嫌なまま、知盛はようやく届いた娘への贈り物が山積みになっている自分の曹司へと足を進めた。
Fin.