朔夜のうさぎは夢を見る

クリスマス裏事情

 主が気ままな性質のは存分に承知していたが、それでも物事には限度があるというのが彼女の主張したいことである。
 行き先を告げずにふらりと出かけることには慣れた。声をかけられないのは、夕刻には戻るという暗黙の了解。だから、娘は他の女房や郎党に言付けが残されていないかを確認し、おとなしく日常業務をこなすのみ。
 だというのに、今日に限っては常と違う顛末が待ち受けていた。帰邸した主が、その手に土産を携えていたのだ。


 行き交う女房が皆こぞって青い顔をするのに、娘は申し訳なくていたたまれなくなるが、その一歩後ろを歩く主はまったく別の感覚で構成されているとみられる。にたにたと楽しげに笑いながら、本来ならば邸にて最も高位の彼が立ち入ることなどありえないだろう場所に向かう。
「……本当についていらっしゃるおつもりですか?」
「なんだ。この邸には、主たる俺が、立ち入ってはならない場所があるのか……?」
「そうは申し上げておりませんが」
 厨に向かう主という構図は、一般的には見られるものでもあるまい。やはり主の気まぐれさを知っている家人達は、特に口をはさむような無駄なまねはしない。だが、そこには「だからなんとかするように」という娘に対する無言の要求が含まれている。
「ご所望のものを作れるかはわかりませんよ?」
「それは先も聞いた。だから、こうして事前に試せるようにと用立てたではないか」
 そして、娘にはもはや、主を止めようという発想は残されていないのだ。


 あらかじめ外を回らせて届けさせておいたのは、正解だったろう。さすがに台盤所で働く雑仕女は特に深い衝撃を見せることなく淡々と"それ"を捌いてくれていたが、生肉など、他の女房達は見たこともないに違いあるまい。文字どおりの鳥肌は、その桃色の美しさが新鮮さを雄弁に語る。
 猟師の腕がよかったのは、綺麗に血抜きがされ、さらに頭部のみというあまりに小さな標的部位以外に一切の矢傷がないことからもあからさま。問題は、その猟師に新中納言というらしからぬ肩書きがついていることだったが、黙っていれば外部に漏れることもあるまい。狩猟が趣味であるという点までなら、別段問題ではない。ただ、ついでに、とか、随従をつれるのが面倒だから、とか、そんなものぐさな理由で自らの手を動かすという結論に至るには、肩書きがあまりに重いのだということをもう少し配慮して振る舞ってもらいたいだけで。


 クリスマスにふさわしい肉料理を作れ、と。唐突にそう命じられた時にはおおいに驚いたが、確かに暦はそろそろ師走の半ば。まあ、時期的には間違っていない。横文字の存在しない世界で、クリスマスというその単語はひどく浮いていたが。
「ありがとうございました。後はわたしが承りますので」
 予想外だったろう主の登場に慌てて地に膝をつけた雑仕女に笑いかけ、娘は恐縮しきっている厨の面々に自分の仕事に戻るよう促す。主付きの女房たる娘が作業に手出しをすることも本来ならば異常なのだが、いかんせん、比較対象があまりに異常であるため、誰も文句を言わない。異国の出自である風変わりな女房の珍妙な行動は、よほど目に余らないかぎりは見逃すのが知盛邸に存在する暗黙の了解のひとつなのだ。
「では、俺は見物させていただくとするか」
 少しばかり手前で足を止めていた邸の主は、そう言って土間からの上がり口に腰を下ろして居座りを決め込む。組んだ足に片肘をつき、顎を支えて完全に傍観姿勢である。
「楽しいものではありませんよ?」
「愉しいさ」
 一応の釘はさした。だから、後は娘の責任ではない。手に入るだけの材料で、さて、どこまで創意工夫をこらせるか。獲物に向き直り、挑戦意欲の赴くまま、一方の土間へと下りた娘は口の端を吊り上げる。


 剥かれ、捌かれた肉の主は雉であるらしい。そもそも雉肉を口にしたことのあるなしはともかく、要望に応えつつ受け入れられる料理の姿を模索しながら、包丁を入れる。
 料理は、得意ではないが嫌いでもない。責任を持って味見を請け負うと言っていた主の手前、しかし緊張感はいやますばかり。世辞を言うつもりはないだろうし、言われるつもりもない。ハードルは高いが、だからこそやる気が増すというものだ。
くさみを消すために山椒をまぶして焙ってみたり、あるいは野菜と共にじっくり煮込んであくをとってみたり。記憶を辿りながら現代風の料理を用意しつつ、手が空いてきたところを見逃さず、それまで沈黙を貫いていた主が不意に口を開く。
「クリスマス、とやらは、お前にとっても馴染みが深いのか?」
「正しく馴染み深いのかと問われれば、否としかお答えできませんが」
「正しくなく、しかし馴染み深い、と?」
 返した言葉を引用しながらさらに問いを重ねる主を見上げ、娘は頷いた。
「有川殿が要求なさった内容は、本来のクリスマスの在り方とは異なります。ですが、わたし達に最も馴染み深いクリスマスは、こうしてご馳走を食べたり贈り物を交換しあう口実のようなものですから」
 笑いながら鍋をかきまわしていたひしゃくとは反対の手に持った小ぶりの椀を、一口啜ってから差し出す。
「塩加減をみていただきたいのですけれど」
「……ん」
 調理現場にいあわせるのだから必要ないかとも思ったが、毒のないことを示して渡せば、一舐めしてから中身をあおる。そのまま黙って返されたということは、及第点だったのだろう。


 空になった椀を受け取り、炉の横に置いて娘は具材への火の通り具合の確認へと作業を移行させる。
「“パーティー”に、“プレゼント”か?」
「年の瀬ですし、宴席を求める理由にうってつけだったので、そう定着したのでしょう」
 妙に物覚えのいい主は、発音も流暢に横文字を使いこなす。笑い含みに「めでたいことだ」と感想とおぼしき言葉を与えられ、娘は素直に同意する。
「本来は、異国の宗教の“救いの御子”の生誕を祝う日なので、めでたいには違いないでしょう」
「救いの……」
 言い差して単語を区切り、くつりと喉の奥で嗤う気配がはさまれる。
「国を異にしても、皆、考えることは同じということか」
 侮蔑とも、自嘲とも。それは、とにかく昏い声。
「お前も、祝うのか?」
「宴席の、ちょうどいい口実ですから」
 あっさり応じて肩をすくめ、娘は鍋を炉から下ろす。


 試作を兼ねて一度調理をさせてほしいと願い出た娘に、主は、ならば一食用意しろと命じていた。中途半端にいろいろ混じるよりはと、だから今夜は現代風の夕食である。並行して茹でていた野菜も鍋から上げ、そちらは味噌を添えて温野菜サラダ風に。
「さあ、一通り仕上がりましたので、お戻りください。すぐにお持ちします」
 主のあの声は、好きではない。振り払うように話題を切り替え、なるべく自然に笑う娘に、しかし主は逆に愉しげににたりと笑う。
「余りは、家長らに振る舞うと言っていたな?」
「ええ。せっかくですし、できれば色々な方のご意見をうかがいたいですから」
 問いは唐突で、声はいつもどおりだった。きょとんと目を見開きながらも素直に頷いた娘に、主は笑みを深める。
「お前は、どうする?」
「家長殿達にお渡しする前に、少しだけ取り分けさせていただこうかと」
「なれば、今から膳を二つ用意しろ」
 言ってゆるりと腰を上げ、ますます目を見開いた娘に知盛はただ笑いを重ねる。
「評を、と言ったのは俺だ……共に食しながらの方が、善後策も練りやすかろう」
「え? あの、ですがそれは、」
「邸の主たる俺がいいと言っているんだ、構わん」
 また安芸の眉間の皺を増やす結果になるのではなかろうか、と。言い差した言葉はあっさり遮られ、絶対命令権をもって娘は行動を決される。
「酒も用立てておけ。後の配膳は、他の者に任せればいい……。少し早いのだろうが、パーティーと、しようではないか」
 くつくつ喉を鳴らしながら邸の奥へと戻る知盛の背中は、いつになく楽しげである。何がきっかけだったのかはわからないが、まあ、不機嫌そうにされるよりは楽しげにされている方がよほどいい。言われたとおりに余った分の配膳を任せる人員を探して振り返りながら、娘は脳裏でめまぐるしく用立てるべき酒の種類を考えはじめた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。