新月
日中に仰ぐ月の白さが、男はあまり好きではない。闇夜に在ってあんなにも美しく圧倒的な存在が、日輪に並べばなんとも哀しく色褪せる。
在るべき場所に、在るべきように。だから男はそう望む。
管弦の宴には楽の名手を。詩吟の集いには唄の名手を。雲上の駆け引きには老練な策士を。刃の踊る舞台には、己のような死にたがりを。
在るべき場所に身を踊らせることの許されないこの身は、いったい周囲にどう映っているのだろう。色褪せて、色褪せて。きっと、あの月よりもおぼつくまい。
自嘲に喉を鳴らしながら、男はいつか、己が在るべき場所へと還れる日を夢想し続ける。
(平知盛)
三日月
まるで滴り落ちてきそうな三日月の円弧を高く天に仰ぎ、彼女は静かに唇をしならせた。しじまを乱したくはないから、声は決して紡がない。ただそっと、気配で微笑む。
――月が、とっても綺麗ですね。
それは、彼には通じるはずのない愛の告白。今の彼女にとっては遥かな未来、けれどたしかに残されていた過去に、見知らぬ偉人が紡いだ名言。
だから彼女は心安く、けれど用心して音には託さずに、唇だけを震わせる。
彼のかたわらにいるだけで、月はこんなにも美しくなる。
(胡蝶 / 月天将)
上弦の月
人間、ある程度年齢を重ねると、驚くことが少なくなる。それは身につけた知識ゆえにか、身に刻んだ経験ゆえにか、はたまた生き抜くための防衛本能なのか。その分、世の中への新鮮さがなくなるのは残念だが、残念と感じる頃には諦めがついているか、気づいていないかのどちらかなのだ。
だから、改めて驚きと新鮮さに気づいた時、彼は新しい生活を、新しい人生と定義しなおすことにした。
見知らぬ習慣。見慣れぬ教養。預かり知らぬ常識。
彼は異端であり、無垢な赤子のようなものだった。何もかもが目新しく、知っていたつもりのことにさえ、いつもいつも驚かされる。
再度の始まりを、そして彼は弓張りの月夜に受け入れた。
切り開き、前進し、辿り着いてみせる。
ここは見知らぬ世界。自分は新たに生まれ直した。ならばこの先に続く道が、未来が、自分の知っているはずのそれと異なることも、許されるはずだと信じて。
(有川将臣 / 還内府)
宵待ち月
やっと水平線に姿をみせた月に、少年は己の背後を振り仰いだ。
常ならば、このような理由で、こんなにも気軽な装いのまま、このような外出など許されまい。それは少年もなんとなく察している。そして、今日のこの外出が許されたのは、背後に佇む彼のお陰なのだと。
嬉しくてしょうがない思いが、どこから湧いたものかはわからなかった。水面に映る月、それも夕映えの中で空に昇る様が美しいと乳母が言っていたのを聞き、興味を持ったというのはこじつけだった。けれど確かに、目にしたそれはとても美しく、昼と夜との狭間に妖しく色づく。
きっと自分は、この月のようなものだ。昼から脱しきれず、夜に焦がれて、けれど暁闇の頃には眠りにつく。一番の闇を知らず、完全な姿には届かず、昼にも夜にも守られている。
知らぬうちに彼の衣の裾を握りしめていたらしい。そっと指を包まれる無骨な感触に、少年は泣きたくなる。
目指す先は、遥かに遠い。
(平言仁 / 安徳帝)