まちがい探しの恋
美人が怒ると迫力があるというが、不機嫌を撒き散らす佳人というのも相当に迫力がある。眉間の皺は常の三割増。いらいらした空気を隠そうともせず、足音高く廊下を闊歩するのは闇を纏う適合者の少年だ。
触らぬ神に祟りなし、とばかりに誰もが端によるものだから、突き進む様はモーセによるエジプト脱出の奇跡のようだった。幼さも体格の未熟さも凌駕し、誰にも有無を言わせない立ち位置を確立したやり口は賢いとは言いがたかったが、いっそカリスマ性の発揮とも言えるだろう。どうあっても目立ちに目立つ新しい仲間を苦笑交じりに観察していたリーバーは、近づいてきたタイミングを見計らって恐れ知らずにも声をかけた。
「いつも以上の不機嫌さだな。何かあったか?」
「別に、いつも不機嫌ってわけでもねぇよ」
「そうか? じゃあ、いつになく不機嫌だな」
ぶっきらぼうな返答だったが、無視されないだけマシなのだとは早々に学んだこの少年との付き合い方だ。その基準がどこにあるかは未だ判じられないが、会話を続行する際にはきちんと足を止め、相手の目を見る礼儀正しさが根底にある。
どうしてここまでと思うほどの口の悪さに紛れて見失いそうになるが、そこかしこに滲むのは育ちの良さに裏打たれた気品の伴う所作。武人として若くもかなりの練達者であることを知らしめる体捌きといい、彼はその造形の美しさを引き立てる要素に事欠かなかった。
言葉尻を捉える幼稚な切り返しは、大人の余裕をもって広い心で聞き流すに限る。こうしていらない安い挑発を繰り返すから、短期間の内に少なからぬ敵を作るという器用な事態に陥るのだ。その点、曲者の代名詞である上司を持つリーバーはそんな程度では沸点に掠りもしない。他の一般教団員に比べて、実に桁違いの懐の深さである。
「で、何かあったのか? ならさっき、食堂でジェリーと話してたぞ」
神田と付き合うコツの二つ目は、根気とテンポの良さを失わないことだ。些細なことから会話そのものを億劫に感じて適当に投げ出してしまう性格を把握した上で、飽きさせないうちに路線修正をするのも大人としてのスキルだとリーバーは考えている。
良くも悪くも単純明快な思考回路を持っていることはわかっていたので、一番可能性の高そうな内容を先回りして告げてみれば、少年は眉間の皺をもう一本増やした。
「どうしてそこでアイツの名前が出て来るんだよ」
「を探してたんじゃないのか?」
本人に否定されたばかりではあるが、常日頃から機嫌の悪い状態を基準値とする神田は、共に教団にやってきた少女が絡むと一層機嫌が悪くなる。あからさまに低められた声に飄々と応じれば、これまた敵を作る要因のひとつである舌打ちをこぼし、神田は視線に険を混じらせる。
わかりやすいようでわかりにくく、子供じみているくせに妙に老成している。曲者ぞろいの職場ではあったが、もしかしたら類が友を呼んだ結果の集団なのかもしれない。
入団前からずっと寄り添って生きてきたと聞き、家族でないならてっきり恋人同士なのかと思っていたのは何もリーバーに限らない。神田は何せあの性格だ。民族性もあいまって、きっとそういった関係を表に出すことを善しとしないのだろうと憶測に憶測を重ねていたのだが、どうにも思い違いらしいことが最近わかってきた。
赤の他人ではない。家族というには違和感があるし、友人というには深く、恋人というには淡白。それでも、が他の団員と話している場面に遭遇すればあからさまに機嫌が悪くなるし、相手が男ともなれば、用件いかんに関わらずその視線に射殺されそうである。例外は、心が芯から女性である料理長ぐらいなもの。その反応を嫉妬と判断するのは妥当である気もするし、早計のような気もする。
神田のわかりにくさの最たるひとつがとの関係性であることは、きっと多くの同僚から共感を得られるだろうリーバーの考察である。
「……ジェリーと話してたんだな?」
「おう。ジェリーは女心がわかるからな。も懐いてんだろ」
しばしの黙考の後、実に鋭い視線でじろりと見上げながらの確認に肯定を返し、リーバーはさらに苛立ちを跳ね上げさせた神田に内心で苦笑する。
武人としての才能のひとつなのか、感情の機微には疎いくせに気配の変化への敏さから相手の内心を鋭く読み取る少年は、珍しくも自分の考えに耽っているらしい。滅多に遭遇することのない事態を片眉を持ち上げて興味深く観察するリーバーに気づくことなく、諦めと納得の入り混じった複雑な溜め息を重苦しく落とす。そして、くるりと踵を返してしまった。
「行かないのか?」
てっきり奪還に行くとばかり思っていたリーバーは、あからさまな方向転換に思わず疑問を投げかけていた。常ならばそこで殺気混じりの不機嫌な一瞥が返ってくるのだが、覚悟していたところに向けられたのは、先ほどまでよりも数の減った眉間のしわと、溜め息に絡む声。
「ジェリーんとこにいるんなら、いい」
ぼそりと告げた言葉に「ありがとな」と、感謝の気持ちの篭もっていなさそうな声をそれでも律儀に継ぎ足し、少年は来た道を戻っていく。撒き散らされる不機嫌さが多少収まったことを、静かさを取り戻した足音が告げていた。
Fin.