何度となく君は
「兄妹揃ってよっぽどヒマなんだな」
「顔も見ないでいきなり言うセリフじゃないよ、それ」
扉を開けるや投げつけられた辛辣な言葉に、コムイは穏やかな苦笑を浮かべて応じた。人違いだったらどうするつもりなのか。ふとそんなことを思いもするが、まるで気にしないのだろうと思いなおす。神田にとって、周囲から自分がどう思われるか、どう見られるかなど、瑣末な問題に過ぎないのだ。
慣れに加え、その言葉遣いが不器用な照れ隠しだの気遣いだのに起因することが多いことを知っているコムイはさほど気に障ることなく受け答えができるが、多くの人間はその物言いと態度に間違いなく不快感を示す。それを知っていてなお改善をみせる気がないのだから、傍若無人というか、意固地というか。
後ろ手に静かに扉を閉め、音源へ向けて足を踏み出しながらコムイはゆるりと首を巡らせる。彼らの他に人影はない。静寂に満ち、蝋燭の灯りが陰影の揺らぎを刻むだけの聖堂は、いやに浮世離れした空気を湛えていた。
夕暮れに浅瀬の海底から天を仰いだら、こんな感じかもしれない。脳裏をよぎった喩えを思いのほか気に入って、男は静かに笑みを深める。
「気色悪ぃ」
「失礼だね、君は」
「はっ、今さらだろ」
歩み寄るコムイを見上げる視点が僅かにでも低いのが気に入らないのか、神田はするりと椅子から立ち上がった。いずれにせよ身長差は埋まらないが、精神的なものだろう。じろりと睨み上げる視線は鋭く、強い意志にぎらぎらと光っている。椅子の列を縫ってまで近寄ることはせず、振り向かされた頭が体と同じ方向を向いた位置でコムイは足を止めた。
「リナリーが来たの、気づいてたんだね」
「当たり前だろ」
「でも、寝ているところを見せるなんて。珍しいね」
傲然と言い放たれた言葉に畳みかければ、ぐっと詰まってから青年は視線に険を混じらせて舌打ちをする。逸らされた視線が忌々しげに床を睨み据える様子はいつもどおり。これは杞憂だったかな、と、コムイは胸中でひとりごちる。
しばし逡巡したようだったが、大袈裟な溜め息と共にどっかりと椅子に腰を下ろし、神田は目を上げた。
「めんどくさかっただけだ。リナリーなら、煩いこと言わねぇだろ」
「まあね。リナリーはいい子だし」
言い訳じみた響きは聞こえない。他の誰が口にしてもそれは言い訳に聞こえるのだろうが、神田の場合は別だった。確かに、寝姿を見られたのは不覚だったのだろう。それに関する弁明はない。だが、その後特に反応を見せなかった理由はそれで片付けられる。要するに、相手がリナリーであることを気配から察し、ならば放っておいても構わないと判断しただけなのだと。
投げやりな口調にはのろけを返し、それからコムイはふと表情を引き締める。
「で、それだけ?」
問いかけには、音にならない「それだけであるはずがない」との反語が付随されていた。
察しが良いのか悪いのか、判別しがたい相反する行動を同じ表情でみせる神田だが、今回は察しの良い一面が出たらしい。見上げる視線に苛立ちが垣間見え、続いて諦めを溜め息と共に。
「神田くん」
呼びかけは、返答を促すためと、諦めを後押しするためと。視線を逸らそうとしないコムイに本気を見て取りはしたようだが、それでも口を開かずにいるのは何らかの思惑があってのことか、それとも単に言葉が見つからないだけか。わかりやすいようでいてわかりにくい神田が、コムイは時にとてももどかしい。
「疲れが溜まっているの? それとも何か別の理由? 僕は、黒の教団の司令官として、エクソシストの状態を把握する義務があるんだ」
わかるだろう。上司としての表情と声をもって理詰めで迫れば、神田は感情を押し殺す。それもいつものこと。誰よりも誰よりも、神田は教団が動かすエクソシストとして理想に近い場所に立っている。
溜め息をもうひとつ。そして、至極面倒くさそうに頭をのけぞらせ、視線を天井に放ると神田はゆっくりと口を開いた。
「夢を、見ただけだ」
何の、とか。どんな、とか。続けるべきだったかもしれない言葉を、コムイは喉の奥で蹴散らした。薄暗がりの中、仰のけられた表情はほとんど見えない。それでも、僅かに歪められた唇が微苦笑と嘲笑の間に器用に収まっていることは見て取れた。
ごく小さな声で「そう」とだけ返した相槌に、勢いをつけて姿勢を戻した神田の不機嫌な声が重なる。
「疲れてなんかいねぇよ。てか、むしろ暇すぎて疲れた。何か任務ねぇのか?」
「もう少し休んでくれてもいいんだよ? ここんとこハードだったじゃない」
「休んだ」
気遣う言葉をにべもなく払いのけ、神田は瞳の奥に焦燥を走らせる。コムイがその色に気づいたのはつい最近のこと。月日を重ねるごとに彼は彼の望む強さを手に入れているはずなのに、月日を重ねるごとに彼は焦りを募らせる。
鋭く見据える瞳は、一瞬のうちに意思の光で蓋をされ、もう底など見えない。一度言い出したら聞こうとしない頑固さは知っている。だからコムイは、諦めの溜め息に添えて「明日の朝までに、資料をまとめて通達するよ」と答えることしかできなかった。
Fin.