朔夜のうさぎは夢を見る

信じています

 ひとりで食事をするのが寂しいという彼女の言い分とそれまでの習慣をなんとなく引きずった彼の行動が一致して、二人は基本的に一緒に食事をとっていた。神田の鍛錬は日によってそう大きく内容が変わるわけでもなく、の雑用はいくらでも時間の融通が利く。よって、彼らが示し合わせて食堂に足を運ぶのはさほど難しいことではなく、雁首を並べてカウンターを覗き込む姿はあっという間に教団の日常に定着した。
 無口で無愛想で周囲とのコミュニケーションをとかく面倒くさがるきらいのある神田と、饒舌とはいわないものの愛想が良く、適切なコミュニケーションを心がけるが並んでいれば、必然的に神田と周囲との橋渡し役はの仕事になる。気を遣うだの面倒を見るだの、そういった気配もなく時間さえあえばそっと寄り添い、自然とその関係が成り立っているあたり、二人が共有してきた時間が透かし見えると感じているのは彼らを見守る教団員の共通する見解だろう。逆にいえば、神田とを対で見かける時間帯にどちらかを単独で見つけるというのは、むずがゆい違和感の伴う現象になっていた。


 常日頃から眉間に皺が寄りがちな神田であるが、実のところそのパターンは多岐にわたる。表情と雰囲気を併せて観察した結果、発言以上に雄弁に内心が現れていることを確信したのは最近のこと。それ以来コムイは、本人申告の言動と自分の観察による推量を同程度ずつ混ぜ合わせながら神田とコミュニケーションを図ることにしている。
 今日も今日とてイライラした空気を隠しもせず科学班室に踏み込んできた神田を見かけ、コムイはおやと眉を跳ね上げた。
「珍しいね、神田くん」
 形式的な挨拶さえなく、返答は舌打ち。それが神田の標準だと理解したコムイは特にその悪癖に言及することもないが、眉間の皺をなくして舌打ちの替わりに目礼のひとつでも返せば、ずいぶん周囲からの評価が変わるだろうに、と惜しく思うのはやめられない。
 もっとも、そんな気遣いは表に出さないし、出したところで神田はさらなる悪態で退けるだろう。賢明にも沈黙を選び、本題を切り出しやすいよう「何か用?」と問いかける。
「アイツはもう上がったのか?」
 端的な問いには苛立ちが滲み、コムイは目を丸くする。いつもの不機嫌な、世界に対して不満がたっぷりという苛立ちではない。どこか焦燥に駆られるような、心許ないような、見慣れない苛立ちが滲んでいたのだ。


 少年の気が短いことは、教団に来てわずか半月の間に関わりを持ったすべての人間が学習した項目のひとつである。呆気にとられて思わずショートしかけた言語中枢を慌てて修復し、コムイは口を開く。
くん? 今日はこっちには来なくていいよって言ってあるんだけど、部屋にいない?」
「……そうか」
 逆に問い返したのは半ば保険であり半ば賭けだったのだが、神田は思いのほかあっさりと頷いた。
 ただ施しを受ける立場にはありたくないと訴えたに、コムイは人手の足りない科学班での庶務を与えた。多少言葉に不自由していようが、手があるだけで助かる部分は多い。元来器用な性質なのだろう。あっという間に仕事に馴染んだは、今や立派な雑用処理の戦力だ。
 そのが自分から仕事を休むなど滅多に無いことだろうと、付き合いの浅いコムイでも予想はたやすい。ずっと一緒にいたという神田ならばなおのことその発想に行き着くだろう。だからこそ科学班室を訪ねたのだろうが、意外にも神田は、が仕事を休んでいた理由を問おうとしなかった。


 時間は折りしも夕食時。いつものごとく共に食堂へ向かおうと思ったのに、いつもの場所にがいない。よって仕事場を訪ねた、といったところか。実にわかりやすい行動をみせる少年を微笑ましく感じながら、コムイはどうしたものかと考えを巡らす。
「邪魔したな」
「あ、ちょっと待って」
 神田もしばらく何事か考え込んでいたようだが、小さな溜め息を残して踵を返す。思い当たる節があるのか、諦めたのか。いまいち読み取れなかった神田の思考を推測することを放棄し、コムイは意を決した。今日が仕事を休んだ理由はできれば神田には告げてくれるなと言われているが、その後の顛末を一部漏らすぐらいなら、きっと許してもらえるだろう。
 面倒くさそうに肩越しに視線を流す切れ長の瞳を苦笑交じりに見返し、表情を改めてコムイは慎重に告げる。
「もしかしたら、医療班室にいるかもしれない」
 なぜとか、何があったとか、詰問されれば正直に告白するしかない。しかし、できるなら少女の希望を叶えてやりたい。必死な様子は目にしたことがあったが、あんな、縋るような表情ははじめて見たのだ。年齢相応な不安定さを露呈させた子供を守ってやりたいと感じるのは、大人として当然の反応だろう。


 妙に鋭く変に鈍い神田は、掴みやすいようで掴みにくい。性格や嗜好のおおまかなところは把握できたと思うが、わからない部分が残されている。今もまた底の見えない深い色の瞳でじっと見据えられ、コムイは神田の反応を予測できずひたすらに祈ることしかできずにいた。
 気付かずに、気にせずに、あっさりと流してはくれまいか。情けない表情になっている自覚をしながらそれでも目線だけは逸らすまいと必死に見つめ返すコムイに、神田はゆるりとまばたいてから小さく「そうか」と頷く。
「医療班室だな?」
「えっと、うん」
「わかった。邪魔したな」
 確認を取ってから先と同じセリフを繰り返し、神田は首を元に戻して扉へと向かう。深く問われなかったことへの安堵とあまりにも淡白な反応への不審をないまぜにして背を見つめるコムイに、中途半端な位置で足を止めた神田がふいに振り返る。
 今度こそ問い質されるのかと、ぎくりと肩を揺らしたコムイを凪いだ瞳で見やり、気のない溜め息をひとつ。半身を向けた姿勢のまま、神田は口を開く。
「リナリーにも言ったが、お前たちは変に気を回しすぎだ。どうせアイツが口止めをしたんだろう? ならばそれでいい。自分の決断を背負うぐらいの強さは持ち合わせている」
 だからその鬱陶しい目で俺を見るのをやめろ。ぞんざいに、尊大に、言い切った少年は確認の意を篭めての鋭い一瞥を残して今度こそ扉に向かう。
 思わぬ方向からの発言に目を丸くしていたコムイは、ふと眉尻を下げて凛と伸びた背中に向けて口を開いた。
「ごめんね」
 それともこの場合はありがとうの方がいいのだろうか。言いながらぼんやりと思いを巡らせているうちに、反応を一切返さないまま神田は扉の向こうへと消えていた。

Fin.

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