朔夜のうさぎは夢を見る

せりの絞り汁は子供の熱冷まし

 つい先日、台盤所で下女達をさんざん困らせていた娘が、今日は同じ場所で下女達に囲まれている。
 まったくもって理解に苦しむ光景を、けれど自分が声をかければあっという間に瓦解させることを知っていればこそ、知盛はらしくもなく対応を迷いながら、そっと気配を殺して板敷きの床に立ち尽くしていた。


 娘は女達に取り囲まれながら、衣の袖を大きくたくしあげ、何やら力仕事をしているようだった。無論、上に羽織っていたのだろう袿の幾枚かは、丁寧に畳まれて避けてある。
「御子には少々、飲みづらいかもしれませんが、熱冷ましによくよく効きますので」
 ほんの少しでいいのです。ほんの少しだけ、水に混ぜれば味も誤魔化せましょう。これを、食膳の際に含ませてみてくださいね。
 説明の声をぼんやりと聞き流し、確かに、台盤所には独特の青臭いにおいが充満しているなと知盛は納得する。どうやら娘は、知識がさほどなくとも扱える薬草について、女達に教えを垂れているらしい。
「湯に溶いてはなりませんよ。火にかけるのも、なりません。なるべく、含ませる直前に摘んで、絞るのが望ましいです」
「なれば、酒に溶くのは、いかがか?」
 日々の生活に役立てている割に、滅多に目にすることのない娘の薬師としての側面は、興味深くもあったがなんだか面白くないようにも思えた。ゆえ、思いついたままに口を開けば、振り返る暇も惜しいとばかりに下女達が一斉に地に額をこすりつけ、その只中に残された娘は、ひとつ優雅に腰を折ってみせる。


「溶くぐらいでしたら、肴になされませ」
 切り返しのそつのなさは、さすがに知盛に慣れたがゆえだろう、見事なもの。だが、袖をたくしあげ、指先を草汁で染めた姿は何ともいえず違和感がある。
「今宵は、せりを供しますね」
「……好きにしろ」
 たぶん、いま、この場で何を言おうと娘は理解しないだろう。肴を用立てると宣したからには、どうせ己の許をおとなうのだ。その際にちくりちくりと釘を差すことを心に決め、知盛は恐縮しきる下女達のために、一旦は場を下がることに決めた。

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