朔夜のうさぎは夢を見る

無明長夜

 邸の裏手にあたる庭に立ち、そろそろ緑から赤へとその色彩を移そうとしている桜木を、男は静かに見上げていた。
 常であれば。いや、これまでの男であれば。
 そうして立ち尽くす後姿は、ひたすらに凛と背筋を伸ばし、微塵も揺らがぬものであった。
 だが、今は違う。ゆらゆらと規則正しく体を揺らし、何かの拍を刻んでいるようだった。
 ゆらゆらと、ゆらゆらと。実に穏やかに男は刻む。何かをなぞるかのように。


 男の視線の先には、まだ葉の落ちていない桜木があった。
 男はその桜が好きだった。男はその桜のそびえる邸の裏手の庭が好きだった。
 男は、その庭に面するとある局が、邸の中のどこよりも気に入りだった。
 男のそんな姿を見やっては穏やかに微笑んでいた双眸は、未来永劫に鎖された。

 ――とても、寂しくなった。

 そうして湧いた感慨を呟いたところで、困ったようにはにかんで小首を傾げてくれた存在は、もういない。
 不意に動きを止めて、男は緩慢な仕草で背後を振り返った。けれど、寂しさは微塵も変わらなかった。



(回る、まわる、めぐる、廻る)
(ただ寂しさが募るばかり)
(いつかどこかで、また会えるまで)

Fin.

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