恋は盲目
悲しみに暮れるその娘を見ていることは、知盛にとっては、とても耐え難いことであった。
適うことならば、その憂いを取り去ってやりたいと。願い続けていたのは、いつからのことであろうか。
あいにくなのか、幸いなのか。知盛は、もう、覚えていなかった。
あいにくなのか、幸いなのか。娘は、さしてわかりやすい形で悲しみに沈んだりはしなかった。
ひっそりと、ひっそりと。娘は静やに耐え続ける。そうしてそっとそっと秘められている悲しみが、隠しきれなくなって滲み出てきた瞬間にこそ、知盛は目を奪われたのだ。
初めて目を奪われたのが、一体いつのことだったのか。そんなことはもう覚えていない。
始まりなど、きっかけなど。そんなものは何も、何も。今となっては、何もかもが、定かではないのだ。
花を贈った。歌を捧げた。衣を奉じた。玉を取り寄せた。
知る限り、女が喜ぶであろうありとあらゆることを、娘に対して捧げてみた。それでも、娘がそっとそっと隠す悲しみは、決してなくなりはしなかった。
そして、いつの日にだろう。知盛は、気がついた。
きっと、この娘から滲む悲しみが全て失われてしまったその時には、知盛はもう、この娘に目を奪われることがなくなるのだろうと。
決して、意図的に悲しませたいわけではない。知盛は、娘の笑った顔も好きなのだから。
はにかむような笑顔も、とろけるような笑顔も。すべてすべて、好きだった。その思いに、偽りはない。だから、知盛は、娘を喜ばせるためのありとあらゆる労力を惜しむつもりはなかったし、惜しんだこともない。それもまた、胸を張って言えることだった。
それでも、気づいてしまった己の真理を偽ることはできない。
悲しみに根ざした、あの、いつか消えてしまうかもしれないと確信させる幸福は何にも替え難く、知盛の心を惹きつけてやまなかった。
過ぎ去ってしまった日々に培われた悲しみを、今さらなかったことにはできない。時間は不可逆なもの。過去という名の事実は、未来永劫、不変なのだ。
そして知盛は、彼が知ってからの、彼の手の届く未来の彼女が、過去と同じように悲しみに暮れることを、決して望みはしない。
つまるところ、知盛は、娘の全てが欲しいのだ。
もはや変えることのできない、娘のかつての悲しみも、彼の手によってどうとでも作り上げることができる、娘のこれからの幸福も。そのすべての、何かひとつでも欠けることが許せない。
突き詰めてしまえばとても簡単なのに、常日頃、彼の本質を知る誰もが賞賛する聡明な頭脳を持ってしても、知盛はそれに気づけない。気づけていないということにすら、きっと、当人は思い至っていない。
これこそ、恋は盲目ということなのでしょうと。
彼によく似た、彼を誰よりもよく知る弟君がもらした呟きに、異を唱える者が誰一人いなかったことこそ、その見解の正しさを何よりも明確に裏付けている。
Fin.