キセキにはまだ届かない
そっと、細い背中に触れさせた指先に、心音とぬくもりを知る。
振り向いてほしいわけではない。ただ、確かめたくて指先に力を篭める。
心音とぬくもりは、変わらない。
あれほど苛烈に戦乱の只中を駆け抜け、いかな気配にも過ぎるほどに鋭く美しい殺気を放つ姿はどこにも垣間見えない。
無防備に、純粋に。俺になされるがまま背を撫ぜさせて、今のお前は命を守ろうとしない。
ならばいっそ、このまま塗り潰してしまおうか。
その衝動は、お前を俺だけのものにしたいという欲求が純化された希求。
他の人間になどくれてやるはずもない。
神にも運命にも許しはしない。
世界の行く末など、誰が知ったことか。
お前は俺だけのもの。
ただお前ゆえにのみ俺は俺であれるから、お前もまた、ただ俺だけのために在る命になってしまえばいいんだ。
嗚呼、あまりにも欲深い。
願ったところで、欲したところで、たとえ縋りついて祈ったところで。
お前はお前以外のナニモノのモノにもならず、何かに屈したお前には、俺は間違いなく失望するのに。
願いはやまず、欲は深まり、祈りは絶えない。
自嘲に歪んだ唇からこぼれる嗤う声が頼りなく震えていたことに、そしてお前はわずかに心音を跳ねさせて体温を低めて。
けれど無防備な背中には微塵の警戒さえ刷こうともせず、最後まで振り向きもしなかった。
キセキにはまだ届かない
(届きたくない、届けたくない、届きようがない)
(知っていて仰ぐこの姿を、)
(きっと人は、いのりと、名付けたのだ)
Fin.