朔夜のうさぎは夢を見る

君を愛していました

 違和を違和と感じなくなるまでの時間には個人差があるだろうが、七日もあればまあ十分というのがの考えである。まして修練を共にし、久しく得ることのなかった剣術の師としての助言を受けられるのならば、なおのこと。
 よって神田が銀色の客人に懐くのにはそう時間がかからなかったし、によく似た漆黒の客人への警戒を解くのも、ほぼ時を同じくしてのことだった。
 見慣れない人間からすればわかりにくいだろうが、あの剣呑な手合わせからこちら、神田はどうやら銀色の客人に一目以上の何かを置いているらしい。とて、ブックマンからあの客人達が自分のような無学の者でも聞いたことのある源平合戦の主役級の存在だと聞いてからは、妙な感慨めいたものを感じていた。だが、それとはまた別の何かがあるらしい。
 漆黒の客人は、その旨を問いただした白髪のエクソシストに、仄かに微笑んで「刃を交えれば、語り合うのとはまた別の次元で相手を知ることができるものです」と答えていたが、それはどういう意味なのだろう。


「かほどに警戒なさらなくとも、何もいたしませんよ?」
 神田とあの客人が手合わせをするなら、必然的には漆黒の客人と同じ空間に居合わせる率が高くなる。彼女は基本的に彼の傍をつかず離れず行動しているし、それが主従関係にあるあの二人にとっての標準なのだろうとブックマンは語っていた。
 は別に神田と常に共にいるわけではないが、他に用がないのならついその傍へと足を向けてしまう。そこに、彼らのような明確な理由も絆もないことを、少なからず嫉妬しながら。
「わたし達に害意はありませんし、何の思惑もありません」
「別に、警戒しているわけじゃ……」
 口篭もっては言い訳がましいと思いながらも、口篭もってしまったのは後ろめたかったからだ。警戒とは少し違うが、思うところがあったのは事実。自分によく似た年上のこの女性が、は少しばかり苦手である。
「得体のしれない相手を信じろと申し上げるのは、無理があるとも知っておりますが」
 見かけも同じ。名前も同じ。年齢と過ごした環境が異なるというだけなのに、こうも違いを見せつけられては拗ねたくなるのもいたしかたないというのがの主張。もっとも、そんな惨めな言い分、誰にも明かしたりはしないが。


 戸惑い、口篭もって俯いてしまったをしばらく見つめてから、客人は視線を神田達へと向け直した。
「見事ですね」
 言葉に促されるようにして見やった先では、舞のような二人の剣技が繰り広げられていた。普段のとの修練では見ることのできない、もっとレベルの高い遣り取り。それがわかるようになっただけ成長したのかとも思うが、そこに辿り着けない己を不甲斐なく感じてしまう。
「剣筋が、とてもお美しい。これほどの絶望を押しつけられているのにああも濁らずに在れるのは、その心が本当に強いからなのでしょうね」
 かなしいことです。吐息に紛れるように付け加えられた言葉にはっと振り返り、は逡巡してから問いを差し向ける。
「どうして、あなた達は私達を、そんな風に見るんですか?」
 教団やアクマのことを説明した時から、ずっとずっとが疑問に思っていたことだった。この客人達こそ戦乱の真っ只中を駆け抜けているのだろうに、この世界の有様を実に悲しげに俯瞰する。切ないこと、痛ましいこと。そういう瞳で達を眺めている。


「確かに、アクマが生まれてしまうのはヒトの弱さのせいで、それはとても悲しいことでしょうけど。でも、私達は戦っているのに」
 彼らは否定の言葉を紡ぎはしなかったが、決して達の在り方を肯定しないのだ。受け入れて、助言さえ与えて、修練の相手もしてくれる。けれど決して肯定しない。正義を謳い神の名を掲げるこの教団に、実に冷めた視線を送っている。
「まるで、あなた達だけにしか戦えないという凝った空気が、不快なだけです」
 呻くような詰りの言葉には、思いがけず冷ややかな声が返された。
「ヒトの弱さゆえにアクマが生まれると、それを否定はしません。死者を呼び返したいと願い、罪を犯すのはわたし達も同じ……。きっと、それゆえの後悔と絶望も、刹那の喜びも」
 紡がれる言葉に淀みはなく、知らない世界をは垣間見る。この人達も同じ後悔と絶望を知り、戦っているのだと、直観する。
「その歪みを正すために戦うあなた達に、では、ただ縋ることが正しいと? 同じ志を抱いて集っていると嘯く一方、すべてはエクソシストにしかなしえないと、戦乱の帰趨の責任のすべてをあなた方に押し付けるこの風潮が、あるべき姿だと?」
 振り返ってきた瞳は透明な怒りに満たされ、苛立ちに焦がされているよう。これまでにが目にしたことがない、苛烈な輝き。
「成せることは違えど、誰もが等しく戦っており、誰もが等しく戦う必要があると――そのことから神の名を用いて逃げる姿が、許し難いのです」
 押しつけがましくてごめんなさい。けれど、わたしはそう感じてしまうのです。


 再び巡らされた視線は、今度こそ隠しようのない悲しみと怒りに染まっていた。手合わせの様子を苦しげに見つめる横顔は、彼女がこの世界の有様を愁い、わずかな時間を共にした自分達を慈しんでいることを物語る。
「イノセンスが本当に“神の結晶”かどうかを知ることは、できないわ」
 囁くよりも儚く、呟くよりは明瞭に。は、きっと教団の誰の前でも紡ぐことを許されないだろう真情を、ゆるゆると吐き出す。
「誰も、神様に会ったことなんてないもの。伯爵やノアのやっていることは人道にもとるけど、教団だって非道な過去を抱えている。現実が勧善懲悪で片付くとは、私も思っていない」
 神に選ばれたという割に、エクソシストのなんと血生臭いこと。汝、隣人を愛せよ。その言葉に真っ向から対立するのがエクソシストの存在であることなど、だって気づいている。それでも。
「どんなにいびつでも、きっかけが何であっても、私達はもう選んだから」
 戦うことを選んだ。戦場に生きることを選んだ。その日から、自分達は徒人ではなくなった。神の選別からあぶれたあの日々も、改めての選別を与えられてからの日々も。だってこの背には、もう数え切れないほどの死を負っている。


 苦手だ、苦手だと思って逃げていた彼の視線も、きっと同じ意味だったのだろうとは悟る。彼と彼女が同じ戦場に立つのなら、同じ感慨を達に向けるのは道理。
 彼らは根底の部分が神田によく似ているのだ。押しつけるなと、そう言いたいだけ。
 闇雲に縋るな、いたずらに頼るな。自分の足で立ち、自分の意思で選べ。
 すべては神の選別だからというどことない諦めの漂うこの塔に苛立ちを覚え、ならば真に神のごとく信奉しろと群衆を煽り立てた。中途半端に頼り、期待し、妬み、勝手に絶望する人々に、白黒はっきりさせろとたきつけてくれた。それは、自分達に親近感を覚え、いとおしいと思ってくれたからだと思うのは、それこそ押しつけがましいのだろうか。
「心配してくれて、ありがとうございます。でも、大丈夫です」
 どうして自分と彼女がこうもよく似た外観を持っているのかは知らないが、自分も彼女のような思いを抱けるようになりたいと、は素直にそう思った。いびつな姿に怒りを覚え、そこに甘んじるものを叱咤する、凛とした思いを。
「逃げる人も、押しつける人もいます。でも、一緒に戦ってくれる人も、心配してくれる人も、いますから」
 思いがけず穏やかな声が出たことに自身驚いたが、振り返ってきた彼女がきょとんと目を見開き、ばつが悪そうに俯いて「ごめんなさい」と紡いだことにはもっと驚いた。
「何も知らないのに、勝手なことばかり申し上げましたね」
「そんなことないです」
 謝ってもらう必要などない。きっと、これは必要な膿出しだったとは思っている。
「言われたことに間違いはないし、それに、気持ちがすっきりしましたし」
 少々乱暴なやり方ではあったが、覚悟を決め直すにはいいきっかけだった。自分達の立ち位置を確認し、そして再び歩き出すために。

Fin.

back to another world index
http://mugetsunoyo.yomibitoshirazu.com/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。