知らなければ幸せだったのに
「ラビに似ているのかしら」
「は?」
「ううん。やっぱり違う。ラビよりもっと、クールな感じ」
「いやいやいや」
「でも、ブックマンとはちょっと違うし」
「おーい」
てきぱきと書棚から下ろされて山積みになっている本を分類していた手が止まったと思えば、唐突に繰り出されるのはわけのわからない独り言。ついうっかり突っ込みを入れていたのだが、反応は皆無。
「どうしたんさ?」
「だって、そう思わない?」
だから安心して独り言を呟いたのに、それには律儀に反応を示してくれるからまったくもって油断ならない。ぱちりと瞬いて不意打ちへの衝撃を受け流し、ラビはへらりと笑う。
「何を?」
「あの人」
正直に言おう。問わずとももちろん答えは知っていた。それでもあえて問うてみたのは、その先にある答えに、少なからぬ興味があったからなのだ。
引越しにまつわるドタバタで教団内が全体的に浮ついた空気に満たされていたのが、功を奏したのだろう。文字通り降って湧いた珍妙な客人のことはあやふやに隠され、恐らく彼らを垣間見た多くの団員達は、ゲートの繋がっているいずこかの支部から人手として供された、引越し要員としか思っていないだろう。
無知であることは罪深いが、時にそれは何より有効な策となる。情報は、良くも悪くも武器だ。ごく一般的な話として、使い方も、価値さえも知らない幼子に銃器を渡す大人はいない。
手渡すリスクと手渡さないメリットを天秤にかけた結果、あの場に居合わせた誰もが同じことを考えただけだ。ラビはそのことを愚かしいとは思わないし、必要な施策だとわかっている。そして対象となった彼らが、そう扱われることの必要性を早々に了解し、あわせて振る舞うそつのなさに、背筋が泡立つのを止められない。
不可思議な客人を迎えてより、本日で三日目。先日のLv.4の襲撃といい、ゲートを繋ぐことの利便性の裏にある不安と恐怖はもはや頂点。最低限の解析さえまだ途中のため下手に鎖すことはできないが、せめてもの対策として、肉体労働に加わりたくない元帥達が交代で傍に詰めることになったらしい。
怯えながらも手を伸ばさざるを得ないこの状況を、誰もが「必要があるから」ともっともらしく嘯く。だが、それは果たして真実なのだろうか。
客人達の存在そのものにとりあえずの危険性がないことが判明した後、処遇よりも何よりも真っ先に交わされたその議論を聞き流しながら、男の口許が薄く嘲笑を刷いていることをラビはしっかり見てとっていた。
「なんていうのかな。ちょっと引いているんだけど、それを悟らせないように上手に周りに合わせているの。そこが、ラビに似ているなって思ったんだけど」
回想を断ち切ったのは、考えをゆっくりと確かめるようにして言葉に変換するリナリーの声。
「もうちょっと、遠いのよね。でも、ブックマン程は遠くなくて……」
うまく言えないんだけど。そう言葉を区切って首を巡らせるのが視界の隅に見てとれたから、ラビもまた件の人物から視線を引き剥がしてリナリーを見下ろす。
「わかる?」
「ん? まぁね」
言わんとしていることは、わからんでもない。つまりリナリーが言いたいのは、きっとこの瞬間のことだろう。
当面の衣食住の対価として、当面の労働力を提供しよう。そう言い出したのは彼らだったし、どうやら頭の回転は速いらしく、作業内容の要点を押さえて説明すれば、非常に有能な雑用係として働いてくれた。
史書に刻まれる名の示すまま、男がこのような雑務に手を出すのは、娘にとって非常識の極みだったのだろう。言い出した当人を思わずといった様子で振り仰ぐ双眼には驚愕がありありと塗りこめられていたが、すぐに諦めたように溜め息を吐き出したあたり、彼女の苦労が見て取れる。
娘の存在が史書にないとはいえ、どう見ても二人は主従。似て非なる関係性かと、きっと誰もが重ね見るのは、蒼黒と夜闇のエクソシスト。そして今のラビとリナリーの視線の先には、それぞれの片割れを欠いた、あべこべな組み合わせ。
「、警戒してんなぁ」
夜闇色のエクソシストが梱包した荷物を、銀色の客人が運んでいる。運び先やら取り扱いにおける諸注意やらでどうやら言葉を交わすらしいのだが、飄々とした男はともかく、は彼の存在の有無であからさまに纏う空気が変わる。
運搬先で何かしら言付かってきたのだろうか。手ぶらになって戻ってきた男が、距離を詰めるにつれてあからさまに身を固める少女の傍らで足を止め、腰を折る。頭の位置を落とし、律儀に振り返っていた少女と目線の位置を合わせて。
唇の動きから言葉を読みとるには、角度が悪かった。ただ、告げられた言葉に応じて腰を上げた少女が小走りに去る背中を負う視線の動きは、見て取れる。
後から思ったのだが、あれは、思わずその遣り取りを一から十まで凝視してしまっていたラビとリナリーへの何らかのメッセージだったのだろう。だって、彼はきっと二人の視線を感じ取っていて、ならば表情を隠すようにして首を巡らせることもできたはずで。
切なげに細められた深紫の双眸は、少女の何かを悼んでいた。悼んで、憐れんで、悲しむ視線。思いがけない表情に思わず息を詰めたのは、二人同時。その瞬間を見計らったようにちらと巡らされた視線は仄かに微笑んでいて、覗き見ていたことへの罪悪感を抱くには、あまりにも優しすぎる。
「なぁ、リナリー。あの人は、オレらとはまったく別物だよ」
視線の交錯はほんの一瞬。確かな事実を勘違いだったと疑いたくなるような自然さで、男はのやり残した作業へと手を出し始める。
「ジジィなんかよりよっぽど遠い。――ヒトであることをいつでも捨てられる、そういう存在だと思うぜ」
ああ、だからアンタはオレらを嗤い、あの子を憐れむ。ヒトでしか在れないくせに神の領域に手を出し、ヒトであることにもがく。この救いようのない永久ループを。
Fin.