真夜中の迷子
響き渡る爆音など、もはや耳に馴染んだものだ。別に、そうそう気にかかるものでもない。だが、全く気にせず聞き流していると、時に自分達の身に降りかかる災厄となるから聞き流すわけにもいかない。
「あー、ムシしたいなぁ、っと」
「それはボクも同じ思いですよ、ラビ」
引越し準備は、そうやすやすと終わるものでもない。百年というのは、聞いて思う以上に長い年月なのだ。荷物を纏めて、纏めて、捨てて捨てて捨てて。ありとあらゆる人間の手を使って進めているのだが、後から後から荷物が出てくるのだから、どうしようもない。
もっとも、全員を常に引越し要員として動員しておくわけにもいかない。世界は立ち止まったりはしない。それこそ、終焉を迎えない限り。そして、今なお終焉を迎えることなく回り続ける世界では、今なお終わることなく悲劇が生み出され、アクマが生み出されている。そうなれば、エクソシストが必要とされて飛び出さねばならない事態も生まれかねない。そのため、ある程度という制約はつくものの、科学班の面々ほどにはアレン達エクソシストは準備のために奔走する必要性に駆られてもいないのだ。
荷運びが終わった時間の事情から主要な引越し準備メンバーから遅れて昼食をとっていた二人の皿が完全に空になるタイミングで音が響くだなんて、何かの嫌がらせとしか思えない。それでも、聞き流すには気にかかるし、知らないふりをしておいて後から面倒に巻き込まれるよりは、先に首を突っ込んでしまう方が諦めがつけやすい。
「今回は何さ?」
「……どこかに埋もれていた厄介な機械の暴走に一票」
「じゃあ、オレはどこかに埋もれていた妙な薬の被害に一票さ」
「それじゃあボクとあまり変わらないじゃないですか」
荷物がそこかしこに散乱し、常になく騒然とし続けている石廊を駆けるでもなく、けれどただ歩くよりは急いた歩調で進みながら、二人のエクソシストはどこか呑気に言葉を交わす。これまでに重ねられた状況は、決して芳しいものではない。それでも、最近の穏やかな、何ごともない日常は、ぴりぴりとした過剰な焦燥を宥める程度には優しいものだった。
もっとも、そんな束の間の穏やかさは、恐らく音源と思われる現場が視界に収まるやあっという間に拭い去られた。再び響いた轟音に乗って、扉が吹き飛んで室内から何かが廊下に飛び出してくる。それが夜闇色を纏うエクソシストであると知った途端、二人の足は鋭い音を残して床を蹴っていた。
「!」
「何事さ!?」
器用に受け身はとっていたものの、距離が距離であったため壁への激突は避けられない。衝撃からか、くらりとバランスを崩して床に落ちるのをアレンが支え、ラビが正面に立って追撃からの盾となる。もうもうと立ち込める埃は積み重ねられた書籍達の負う歴史を伝えるが、今はそんなものはどうでもいい。
乳白色に濁る不自由な視界から飛び出してきた、奇妙な骸骨に小さくない舌打ちをこぼしてラビは己のイノセンスに呼びかける。もっとも、そうして呼び起された神の結晶が迎え撃ったのは、骸骨の振り上げたボロボロの刀ではなく、その向こうから突き出された鋭利な切っ先だった。
「おっと!」
「――ッ!?」
受け止められたことに驚いたのか、それ以外の感慨か。とにかく、切っ先の向こうからは息を呑む音が聞こえた。そして、室内からは実にわかりやすい怒号が響く。
「テメェら、何者だ!?」
なるほど、珍しくも今日は闇を纏うエクソシストが手伝いに訪れていたのかと呑気な感想を抱く一方で、鋭い誰何に骸骨の向こうで息を呑んでいたはずの気配がさらにわかりやすく振り返るのを感じ取る。
「知盛殿ッ!」
叫び声は、耳馴染んだ声によって。けれど、声の持ち主はアレンに抱き起こされて姿勢を整えたばかりだ。驚愕に唖然と目を見開きながら、ようやくクリアになりつつ視界の向こうに、見えるのはそれこそ珍妙ないでたちの男女が一組。
「どうなってるんさ?」
ぽつりと落とされたラビの一言は、場に居合わせるすべての面々の思いを代弁するそれであった。
警戒心に加えて敵愾心もあらわにぎりぎりと睨めつける神田の視線を涼しい様子でさらりと受け流し、実に流麗な所作で片手に握る刀剣を空で切るのは銀髪の男。そのすぐ傍に立ち、ピリリと緊張に表情を引き締めながら両手で握る刀を納める気配もないのは黒髪の娘。
びゅっ、と鋭い風切音を残し、男はゆったりとした動作で視線を周囲に巡らせると、何の躊躇いもなく刃を腰の鞘へと納めた。床に飛び散ったのはどす黒い液体。それらが先ほど自分の目の前に立ち塞がった骸骨から流れ出た体液と同じものであると察することは実にたやすく、わけのわからないボロボロの鎧を残して砂塵と化した足元の残骸をちらと見やり、ラビは小さく息を詰める。
「さて……何者と、答えればよいものか」
そして紡がれたのは、どこか笑いを含んでゆるゆるとさざめく低音。言葉尻は喉の奥で鳴らされたらしい笑声に溶け、伏せられていた深紫の視線が彼の背後へと向けられる。
「御身らがアレと志を同じくするのなら、我らは敵対者であろうが」
眩いそこは方舟の入り口にして出口。からかうような声に誘われたのか、身を乗り出してくるのはどう見てもアクマであろう異形ども。眼前に立つ二人も怪しいが、居合わせる誰もの視線がちらと流し見た白髪のエクソシストが首を横に振るのだから、アクマでないことだけは確かだ。
そのまま当座の標的を切り替えて戦意を高めていく様子を面白そうに見やり、それから男はおもむろに口の端を吊り上げる。
「“”」
呼ばれた名はアレン達の知るものであったが、アレン達の知るが困惑を示すのに対し、男の傍らに立っている娘が慣れた様子で視線を上向ける。
「揮えるか?」
「糧の限りは」
「なれば、供させていただこう」
わけのわからない遣り取りはごく簡潔であり、結末もごく単純。その一言と共に男に背中から抱き寄せられた娘の指先が宙を撫でた瞬間、方舟の入り口から溢れ出してきたアクマ達は、断末魔を上げる暇さえなく灰へと還された。
Fin.