朔夜のうさぎは夢を見る

永遠に美しく

 早々に教団本部へと戻ったは、さっそくルベリエに呼び出しを喰らい、薄暗い会議室へと足を踏み入れていた。既に場に揃っていたのは、コムイを含む支部長たちと、今なお本部に逗留している元帥。
「ようこそ。無事の帰還、喜ばしいことと思いますよ」
「お心遣い、痛み入る限りです」
 深く頭を下げて慇懃無礼に言い放つ声は、いっそ傲慢。しかし、沈黙を破った主は気にした様子もない。
「では、はじめましょうか」
 そうそうたる面々の立会いの許、入り口の正面の椅子に座ってを待ち受けていた監察庁長官は、査問会の開始を厳かに宣言した。


 白とも黒とも判別のつかない立場にあるアレンの外出を容認するに際し、教団の所有するゴーレムには行動を記録するための映像録画機能がつけられることとなった。無論、それはエクソシストたちが連絡用に用いるゴーレムだとて例外ではない。
 帰還すると同時にイノセンスを含むすべての手荷物を取り上げられていたのゴーレムが、だから、ルベリエの手許に置かれていたことも、何の不思議もないことだった。
 鮮明とはいえない画像と音声が、正確無比にあの日、あの時の情景をなぞりなおしていく。
「さて、と」
 居並ぶ面々の反応など、には関係ない。ただ無感動に記憶と寸分の違いもない映像記録を見終えたところで、おもむろにかけられた声にスクリーン代わりとなっていた壁から視線を引き剥がす。
「悲しい、実に悲しいことですが、我々はこの記録から、ひとつの疑問を抱くに至りました」
 芝居がかった口調は、あえてのものなのか、生来のものなのか。薄闇の中、独擅場に立つ長官の、しかし役者としてはあまりにも鋭すぎる双眸をひたと見返し、は静かに続く言葉を聴く。


「この人物は、今回の一連の暗殺騒動の首謀者と見て間違いないでしょう。そして、その当事者を始末したあなた方には、本来ならば大いなる栄誉が送られるはずです」
 立ち上がりながら言って広げられた両手は栄光に満ちて天を仰ぎ、次の瞬間には痛ましさを湛えて胸元を押さえる。
「しかし、悲しいことに、我々はあなた方がこの人物と繋がりがあったと判断せざるをえない。少なくとも、このゴーレムの記録を見る限り、あなた方はかの人物と初対面であったようには見えません」
「否定はしません」
 いかがか、と。視線だけで問う男に泰然と返し、は与えられた沈黙にひびを入れる。
「言い訳はしない、と?」
「何に対する言い訳ですか?」
 揶揄と嘲りを孕んだ声に、返すのは呆れ。
「疑わし気を罰すべきとおっしゃるのでしたら、甘んじてお受けしましょう。私は抗いません」
 一息に言葉を紡ぎ、居合わせるすべての人間の顔をぐるりと見渡し。ただ一人の味方もいない少女は、万軍の将でもあるかのように轟然と言い放つ。
「私はエクソシストです。第一義は、教団の総意たる命に従うこと。ならば、教団が私を抹消すべきと判じたのなら、それに従うことこそがエクソシストとしての責務なのでしょう」


 あまりに堂々と、泰然自若としているの様子に、さしものルベリエも毒気を抜かれたかのようだった。一拍の沈黙をはさみ、そしてゆるりと口の端を持ち上げる。
「あなた方はあの人物と旧知の仲のように見えましたが?」
「恩人です。私と彼を拾い、戦い方を教えてくれた恩師です」
 はじまった問答は、詰問のようでいて対等だった。教団の敵としてあった相手を恩人だと言い切るに、後ろ暗さは微塵もない。そして、その威風堂々たるありさまこそが、ルベリエの嗜虐心と好奇心を刺激する。
「なぜ教団に属していなかったのです?」
「知りません。あの人は自身のために武器を手にしたのであり、その意志が殺される場所に行くわけにはいかないと言っていました。自由である必要があると」
「教団は、自由を縛る場所であると言いたいのですか?」
「そうは言っていません。ですが、あなた方はあの人の死への希求を受け入れることができましたか? 戦線の半ばで、己の欲求によって死へとひた走るエクソシストを、あなた方は許容できたのですか?」
 一歩道を違えれば自分たちこそがそうであったという事実などまるで見ないふりで、は問う。そして、貫いたからこその強さなのか、一歩も譲らない両者において、道を譲ったのは監察庁長官。
「できないでしょうね」
「ならば、それが答です」
 言い切った少女に「二度はありませんよ」と溜め息交じりに返し、ルベリエは追及を取りやめた。


 どんな経緯があろうと、結果こそが物を言う。集団暗殺事件の首謀者たる強大な敵を打ち倒した業績はそれほどまでに大きく、これ以上エクソシストの損失を被るのは、それほどまでの痛手。
 そして、それだけではないことを、ただ沈黙のうちにすべてを見やっていたコムイは静かに悟る。
「ですが、我々は同士の心を疑うという悲しい思いを味わいました。二度と同じことのないように、あなたのエクソシストとしての心構えを改めてうかがいたいのですが」
 どうせこの査問会とて、すべては茶番。ルベリエの遊び心と、ちょっとした意趣返しなのだろう。嫌でも見せつけられるのは、権力の階層ピラミッド。そして、きっとこれこそが本来の目的。
 いかにも悲しげに視線を伏せ、ゆるゆると首を振りながらの一言に、の纏う空気が張り詰めたのは明白だった。怒りと、屈辱と、そしてわずかながらの称賛だろうか。微かに歪んだ目元が、してやられたと雄弁に語る。けれど、それは一瞬の、幻想とも見まごうわずかな動きに過ぎない。
 いくつもの視線がそれぞれの思惑を載せて降り注ぐ中心で、少女は静かに膝を折り、優雅に首を垂れてみせる。
「世界の終焉を阻むため、悲しき魂の監獄であるアクマを破壊し、千年伯爵の陰謀を潰えさせるために戦場を駆けましょう。その大義のために、私はただ、教団の盾として、矛としてありましょう」
 凛と、宣された声は荘厳。そして持ち上げられた視線の深さに、静かに息を呑む音が部屋を満たす。
「――この命、尽きるまで」
 それは、とてもではないが生きるものが持つべき瞳ではなかったと、後の査問会議事録の備考欄には記されていた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。