明日を選べ
「エクソシストは、教団が有する武器です。所有者にして使用者は教団。エクソシストに、意思は不要」
「意思持つ武器は、いたずらに握る手を傷つけかねない、と?」
「その通り」
静かな問答の切れ目に合わせてふっと息を吐き、少女は口の端を吊り上げた。艶然と、悠然と、刻まれる笑みは深く凄絶。年齢に見合わぬ奥深さに、対峙する男は片眉を跳ね上げることで感心を示す。
「武器に求めるは性能のみ。使い手に求めるは采配のみ。私たちは、考える在り方において一致をみたということですね」
幸いなことです。言って少女は笑みを深める。思いのほか話がとんとん拍子に進む予感を得て、男もまた目を細めた。ややこしいことは、少ないに限る。
ただでさえ、エクソシストたちはひと癖もふた癖もある、実に扱い難い厄介者揃い。その能力の特殊性から、正面から武力でねじふせるのが難しい分、絡め手の策を弄するしかないのだ。慣れてはいるが、面倒であることに違いない。
しかし、ルベリエの長年の勘は、がただ従順に従うだけではないと告げていた。薄く刷かれた笑みの奥に、鋭く研ぎ澄まされた牙が見え隠れする。完全に隠すこともまた可能なのだと、暗く笑いながら。
「いや、まったく、意見の一致をみるのは素晴らしいですね。互いに、互いの在り方を理解した上での関係こそが望ましい」
「おっしゃる通りだと思います」
ねっとりと絡み付く声には、白々しい笑顔が返される。侮るなと、緩く弧を描く唇が静かに告げている。
さて、いかにするべきか。しばし脳裏で算段を巡らせ、ルベリエは諦めの色濃い溜め息を細く長く吐き出した。
「あなたの望みを伺いましょうか」
「何のことですか?」
沈む声音には、やわらに弾む声が返される。小さく首を傾げ、はあくまで無垢の仮面を外さない。
厄介ごとはごめんだが、これはこれで、なかなか興味深い手合いではないか。仕留めがいのある獲物を前に、ルベリエは加虐心がうずくのを自覚する。だが、侮ってはいけない。こういう獲物は、大人しく見せかけて思わぬ反撃に出るのが得意なのだ。
「参ったと申し上げているのですよ。教団に忠誠を誓う条件つきにはなりますが、あなたの要望に応えましょう」
「まるで、私が聞き分けのない子供のようなおっしゃりよう」
「そうとは言っていませんよ」
わざとらしく拗ねた表情を浮かべる少女にやはりわざとらしく首を振り、ルベリエは話を進める。
「何が望みです?」
瞬きをひとつ挟み、返されたのは硝子玉のような双眸。
「とある人を探しています。この手で殺すために」
与えられたのは、虚無を滲ませるひたすら静かな声だった。
エクソシストにまっとうな神経の持ち主などいないと嘯いていたのは、型破りの代名詞たる不良神父だったか。無論ルベリエはエクソシストに常識など求めてはいなかったが、要求の内容は、あどけなさを残す少女が口にするにはあまりに殺伐さが過ぎた。
「アクマではなく?」
「そんなことはわかりません。私には、アクマを見極める力などありませんから」
「ただ、殺したいと?」
「ええ。狂っていると思われるかもしれませんけれど」
そっと目を伏せながらも、の声は変わらない。悲哀を滲ませ、しかし揺るぎない覚悟に彩られている。
「しかし、その程度なら好きにすればいいでしょう。なぜわざわざ許可を求めるのです?」
「相手が適合者である可能性が高いからです」
あっさりと放たれた、なるほど許可を求めるには十分すぎる理由に、ルベリエは深く息を吐く。それは、何の感慨もなく聞き逃すわけにはいかない、とんでもない理由である。
「殺したい理由は?」
「それが約束であり契約だからです。私たちの、命を対価とした」
「私たち?」
耳聡く聞き咎めた男に、少女ははじめて心底楽しげな笑みを浮かべる。よくできました、と、相手を評するその瞳は遠く高い。立場の違いをいくら主張しようとも、使役される側に立つ少女は、只人を超えた、神の結晶に選ばれし使徒なのだ。それをまざまざと見せつけられ、男は静かに息を呑む。
「邪魔だてだけはなさらないでください。それ以外において、私たちは教団の理想を体現するエクソシストであり続けられますから」
うっすらと、次いで浮かべられた笑みは静かだった。答えになっていない物言いだったが、ルベリエはが誰を示しているのかを正確に悟る。
現在教団が抱える中で、最も理想的なエクソシストは黒絹の髪をなびかせる青年だ。物言わぬ武器として、その命さえ省みずに戦場を駆け抜ける漆黒の闇。
「命じたら、あなた方はどうするのです?」
灰色の脳は既に答えを弾き出していたが、ルベリエは改めて問いを放っていた。正体も、その存在の存続さえ怪しい見知らぬ適合者候補と、手の内にある有能にして使い勝手のよい駒ふたつ。どちらかを切り捨てろというなら、選ぶことに迷いはない。選ぶことで、駒たちは恭順を示そうといっているのだ。
「この世に裏切りと無縁なものは、死の瞬間のみであるとだけ、申し上げておきます」
何を、と。明確な内容は示さなかったルベリエに、は問い返しもせずに抽象的な言葉を示す。しかし、その意図は明らかにしてあからさまだった。
よもやそこまで露骨な表現を用いるとは予想していなかったルベリエは、ひくりと眉を跳ねあげる。
「意思を持たない武器でさえ、所有者の手を傷つけかねないと?」
「その手から失われかねず、あるいはその頚すら撥ねかねないと」
ひっそりと、の纏う仄暗い気配が深められる。愉悦を孕んだ声は、穏やかに、しかし譲られることのない覚悟を指し示す。
幾度目かも忘れた溜め息に絡めて、ルベリエは小さく「なるほど」と呟いた。
「なるほど。邪魔をするなら、たとえ犠牲者が増えても厭わないと」
「果たされるべき大義の前に、払われる犠牲は尊い」
それがお前たちの正義なのだろうに。言外にそう含めて、はただ微笑む。
「だからこそ、私たちは戦線に身を投じることができます。たとえ散ろうとも、それが誇るべき、偉大なる死であると胸を張れるから」
白々しく、しかし一分の隙もない理論武装を掲げてはようやくルベリエを正面から見据える。
「そうは思いませんか?」
「まったく、その通りですね」
底も真意もすべてを覆い隠した笑みは深遠。似たような色を纏うのに、あの青年とも、あの少女とも違う凄味を感じるのは瞳のせいだろう。
輝きを殺し、人形であることを自ら選びとった瞳は虚ろでありながら澄みきっている。虚ろであることを決断したその意志に絶望は滲まない。揺らぎは浮かばない。ただ、強さだけがぎらぎらと存在を主張する。
「私はエクソシストです。第一義は教団の命令に従うこと。――マルコム・C・ルベリエ中央特別監察庁長官。エクソシスト、・にどうぞ最初のご命令を」
右手を胸元に、左手をスカートに添え、少女は優雅に頭を垂れる。沈黙を挟み、後頭部に降ってきたのは望み通りの、予想通りの言葉。
「我々は、仲間に契約を破らせるような非情さは持ち合わせていません。どうぞ、存分にエクソシストとしての職分をまっとうしてください」
「お言葉、確かに承りました」
そして、今日この時より、私はあなた方のための殺戮人形となりましょう。意思持たず、恐れを知らず、我が身を省みずに戦場を駆け抜ける刃になりましょう。
持ち上げられたのは、精緻な造りの動かぬ表情。静かな、いっそ荘厳な声で誓言を紡ぎ、は小さく目礼を送ってから「この命、尽きるまで」と、消え入りそうな呟きをこぼした。
Fin.